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2011 ~ [+α]
+
この先は下記のアドレスへ移転 :
http://arimaworks2011.blogspot.com/
+
MAIN : http://arimakaoru.blogspot.com/
tumblr : http://arimakaoru.tumblr.com/
facebook : http://www.facebook.com/kaoru.arima
+
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http://arimaworks2011.blogspot.com/
+
MAIN : http://arimakaoru.blogspot.com/
tumblr : http://arimakaoru.tumblr.com/
facebook : http://www.facebook.com/kaoru.arima
+
この記事が108個目。 煩悩。 [最後に、、、]
+
2011(後厄:42)に備えて。
+
3年前、まとめ的作品を制作した。
それが、全てだと思った。
http://arimasunmoon.tumblr.com/
その作品を観れば、
自分が、何をすれば良いのか解った。
心も落ち着いた。
実際、製作をしなく成ってたし、
作品を作るのを止めようと思ってた。
ところが、
その作品(思考)、妻には通じなかった。
この作品は、自分を洗脳するために機能しただけだった。
世の中が変わらないなら、自分が変われば良い。
しかし、
ふたりで居るのだから、
ふたりで、なんとかしないと、
私が変わるだけでは、
彼女が変わるだけでは、
同時に変わる何かが必要だった。
そんなわけで、
私の製作した、今までの作品は、
私にとって、まったく機能しなく成った。
そして、
結婚2年目。
まだまだ、先は長い、、、、
+
今までは、自分に向き合った絵を描いて来たけど、
これからは、他者と向き合う絵を描くのか、、、。
+
8の視点と、8種類の線を確認。
視点においては、5段階目。
+
印鑑問題最後の結論:
紙作品に置いては、全て押す。
あと最近(個展の後)、サイン変えた。
+
10年前にくらべ、作品に文字を入れる事が無くなって来た。
言いたい事が無くなって来たのか?。
絵でしか伝えられない事の方が、多く成ったのか。
そもそも、絵の中に文字を普通に入れだしたのは、
絵で描くより、文字で書いた方が伝わりやすいなら、それでいい。と、思ったから。
私の場合、どっちにしても線表現に変わりはないし。
あと、作品を離れて観るようになったし、肘を浮かせて描くようになった。
+
ちなみに、今年(大厄年)の出来事:
柳デザインの包丁が欠け、
電子辞書が2台壊れ、
硝子が割られ,
マウスが壊れ、
DSが壊れ、
携帯紛失。
で、人生最低の年収更新。
+
ちなみに、この記事が108個目。
煩悩。
このブログの108の記事全てが煩悩。
そして、生きる喜び。
+
+
2010/12/26
有馬かおる
+
では、
では、
+
2011(後厄:42)に備えて。
+
3年前、まとめ的作品を制作した。
それが、全てだと思った。
http://arimasunmoon.tumblr.com/
その作品を観れば、
自分が、何をすれば良いのか解った。
心も落ち着いた。
実際、製作をしなく成ってたし、
作品を作るのを止めようと思ってた。
ところが、
その作品(思考)、妻には通じなかった。
この作品は、自分を洗脳するために機能しただけだった。
世の中が変わらないなら、自分が変われば良い。
しかし、
ふたりで居るのだから、
ふたりで、なんとかしないと、
私が変わるだけでは、
彼女が変わるだけでは、
同時に変わる何かが必要だった。
そんなわけで、
私の製作した、今までの作品は、
私にとって、まったく機能しなく成った。
そして、
結婚2年目。
まだまだ、先は長い、、、、
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今までは、自分に向き合った絵を描いて来たけど、
これからは、他者と向き合う絵を描くのか、、、。
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8の視点と、8種類の線を確認。
視点においては、5段階目。
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印鑑問題最後の結論:
紙作品に置いては、全て押す。
あと最近(個展の後)、サイン変えた。
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10年前にくらべ、作品に文字を入れる事が無くなって来た。
言いたい事が無くなって来たのか?。
絵でしか伝えられない事の方が、多く成ったのか。
そもそも、絵の中に文字を普通に入れだしたのは、
絵で描くより、文字で書いた方が伝わりやすいなら、それでいい。と、思ったから。
私の場合、どっちにしても線表現に変わりはないし。
あと、作品を離れて観るようになったし、肘を浮かせて描くようになった。
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ちなみに、今年(大厄年)の出来事:
柳デザインの包丁が欠け、
電子辞書が2台壊れ、
硝子が割られ,
マウスが壊れ、
DSが壊れ、
携帯紛失。
で、人生最低の年収更新。
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ちなみに、この記事が108個目。
煩悩。
このブログの108の記事全てが煩悩。
そして、生きる喜び。
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2010/12/26
有馬かおる
+
では、
では、
+
1983年(14歳)の絵〜 [自分の作品考察]
+
下記のアドレスで、
1983年(14歳)から1990年くらいまでの、
絵とかマンガを載せていきます。
http://arima1984.blogspot.com/
もしくは、左の「 1983 ~ 1990 」をクリック。
+
こんなの見つけた。
懐かしい。
そして、恥ずかしい。
http://channel.walkerart.org/play/artist-interview-kaoru-arima/
+
下記のアドレスで、
1983年(14歳)から1990年くらいまでの、
絵とかマンガを載せていきます。
http://arima1984.blogspot.com/
もしくは、左の「 1983 ~ 1990 」をクリック。
+
こんなの見つけた。
懐かしい。
そして、恥ずかしい。
http://channel.walkerart.org/play/artist-interview-kaoru-arima/
+
突き抜け [自分の作品考察]
+
DSが壊れた。
もう少しで、無罪っだったのに。
本格的に、絵を描く事以外何もする事が無い。
なので、前の個展で出品して、売れなかった不良在庫を改良した。
主に、6、7月に制作したB4サイズのモノ。
ほぼ別物。
良く成ったと思う。
というか、作品に成ったと思う。
その過程で、何枚か回収不可能に成ったけど。
http://arimaworks2011.blogspot.com/search/label/Before-After
その前に、途中の作品なんて、発表するな!って話だけど、
そんなの、本人に解る分けない。
解ってたら、その時に直してるし、
作品なんて、ほぼ、途中だ。
でさ、完成したら、
次どうするの?って言ってくるんだよね。
まあ、いいけど。
+
色々言われた事を、思い出して、制作してたんだけど、
今まで、人に批判された事って直した事が無い!って事を思い出した。
伝えたい事は、伝わっている。
それが、ネガティブに伝わってるだけだ。
好きとか嫌いとか。
そんな事、関係ないくらいに、突き抜けてないから、
傷口みたいに、触られると、ヒリヒリする。
突き抜け方が足りないだけだ。
突き抜けちゃえば、誰も何も言わなく成る。
表現者だから、
それだけで、終わったらダメなんだけど。
新しい美意識。
ダメだって言われても、やりたい事は、
突き抜けないといけない。
そう言う意味で、
他者の感想は大切だ。
とくに長い付き合いの人の批評。
自分が何に「イラッ」とするか、解る。
そこがキモだ。
取り入れる事ができる事は、全部取り入れる。
でも、いくつか、
何故か、止めたく無い事もある。
それは、
突き抜けるしかない。
+
DSが壊れた。
もう少しで、無罪っだったのに。
本格的に、絵を描く事以外何もする事が無い。
なので、前の個展で出品して、売れなかった不良在庫を改良した。
主に、6、7月に制作したB4サイズのモノ。
ほぼ別物。
良く成ったと思う。
というか、作品に成ったと思う。
その過程で、何枚か回収不可能に成ったけど。
http://arimaworks2011.blogspot.com/search/label/Before-After
その前に、途中の作品なんて、発表するな!って話だけど、
そんなの、本人に解る分けない。
解ってたら、その時に直してるし、
作品なんて、ほぼ、途中だ。
でさ、完成したら、
次どうするの?って言ってくるんだよね。
まあ、いいけど。
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色々言われた事を、思い出して、制作してたんだけど、
今まで、人に批判された事って直した事が無い!って事を思い出した。
伝えたい事は、伝わっている。
それが、ネガティブに伝わってるだけだ。
好きとか嫌いとか。
そんな事、関係ないくらいに、突き抜けてないから、
傷口みたいに、触られると、ヒリヒリする。
突き抜け方が足りないだけだ。
突き抜けちゃえば、誰も何も言わなく成る。
表現者だから、
それだけで、終わったらダメなんだけど。
新しい美意識。
ダメだって言われても、やりたい事は、
突き抜けないといけない。
そう言う意味で、
他者の感想は大切だ。
とくに長い付き合いの人の批評。
自分が何に「イラッ」とするか、解る。
そこがキモだ。
取り入れる事ができる事は、全部取り入れる。
でも、いくつか、
何故か、止めたく無い事もある。
それは、
突き抜けるしかない。
+
わくわくプロジェクト展示風景 [わくわくプロジェクト2010]
流れ、繋がり。 [自分の作品考察]
+
日本人は、作品一つで、西洋に勝てるんだろうか。
右手に神、左手に言葉。
なんとかナーレとかで、個展形式で競わなくてもいいんじゃないだろうか。
個展でも、今の作品ではなくて、今までの作品の流れを、
その人の生き方を「美」として発表できないんだろうか。
まあ、その結果、年寄りが多く成るけど。
ダメなのかなぁ流れで勝負するのは、
繋がり(グループ展)で、勝負するのは。
文章、マンガとか、皆の大好きな、坂本龍馬とか。
一つの作品を自立させていく方法で、勝てるのかなあ。
映画のセットとか、小道具止まりに、なってしまわないかな。
まあ、そこで、勝負しようとしても、
相手に理解されない可能性が大きいから、意味ないか。
希に突然変異とか、その場所から追い出された人が覚醒するけど。
それに、続けと言われてもなぁ。
って言っていてもしょうがない。
作品で食べて行こうと思ったら、向こうで成功するしかない。
コレクターの数が違う。
日本で食うなら、教育機関か助成金。
今の日本人が、今のまま、世界に行ける日が来るといいけど。
無理だろうなぁ。質が違う。
なんだかんだ言って、美術手帳は今も学生のバイブルだから、
4年で、学生のリセットは可能だ。
世界で活躍しようと思ったら、
立体から絵画までこなして、一般人を黙らせる工芸技術が必要だ。と、
勝手に思っている。
なかなかいないよ、一人でやろうとするから。
じゃあ、お前は、どうなんだ!って話だけど。
月給が出る仕事についたら、世界に!とは思わなく成るだろうな。
作品で食う!って考えはなくなるから。
趣味性が強いのかな。
作品性より作家性に興味をそそられる。
私だけでは無い気がする。
ん〜
生きてる世界が小さいんだろうな。
向上心もあまりない。
たぶん、自分個人の欲望だけでは、、、、。
向上心がある人って結果として、後輩に道作ってるから、
そう言うの背負った方が、行きやすいのかもな。
誰の幸せを望むか」って話なのかな。
日本にいて、
アカデミー賞、グラミー賞取りたい、とか、
メジャーリーグに入るとか、10年前まで考えもしなかったろうし、
憧れてはいたのかな。
それが世界って言うのも、問題が無いわけではない。が、
その前は、日本が世界だったし、その前は、県が世界だった。
将来的に観れば、地球に引きこもる事になるんだけど。
それに、
私が憧れてる作品、写楽とか、国芳だからな。
リチャードセラ好きだけど、完全に無いものねだりだし、
最近、マチスが好きに成って来たから、少し変わったのかな。
かなり前に
ロビン・ウィリアムズの「いまを生きる」を観た時、
全く感動してないのに、泣いてる自分。
凄いな、仕組みで泣いている」と思った。
しかし、今はロビン・ウィリアムズの演技で泣かせれた、とおもっている。
本気の感情表現は伝わる。
スポーツ中継で、選手のうれし泣き、悔し泣きが、伝わってくる。
もらい泣きをする。
共感。
演技とは、技術でその状態にもっていく。
人に感動を与えたいなら、
本人が感動して無意識で表現する。
技術で感動を意識的に表現する。
私には、圧倒的に技術が足りない。
そういう世界で生きて行くなら、
一から、勉強し直しだ。
デッサンからかな。
ま、結局、
自分の時間は限られている。
誰の幸せを願おうが、
全ては覚悟の問題だ。
と、自分の話で終わらせる。
よくない。
世界な。
間、流れ、関係=縁」を練って行くしかない。
あ、そういうことか。
みるひとのみたいものに
みることでひとつに
じぶんのいばしょ
そこでしたいこと
+
日本人は、作品一つで、西洋に勝てるんだろうか。
右手に神、左手に言葉。
なんとかナーレとかで、個展形式で競わなくてもいいんじゃないだろうか。
個展でも、今の作品ではなくて、今までの作品の流れを、
その人の生き方を「美」として発表できないんだろうか。
まあ、その結果、年寄りが多く成るけど。
ダメなのかなぁ流れで勝負するのは、
繋がり(グループ展)で、勝負するのは。
文章、マンガとか、皆の大好きな、坂本龍馬とか。
一つの作品を自立させていく方法で、勝てるのかなあ。
映画のセットとか、小道具止まりに、なってしまわないかな。
まあ、そこで、勝負しようとしても、
相手に理解されない可能性が大きいから、意味ないか。
希に突然変異とか、その場所から追い出された人が覚醒するけど。
それに、続けと言われてもなぁ。
って言っていてもしょうがない。
作品で食べて行こうと思ったら、向こうで成功するしかない。
コレクターの数が違う。
日本で食うなら、教育機関か助成金。
今の日本人が、今のまま、世界に行ける日が来るといいけど。
無理だろうなぁ。質が違う。
なんだかんだ言って、美術手帳は今も学生のバイブルだから、
4年で、学生のリセットは可能だ。
世界で活躍しようと思ったら、
立体から絵画までこなして、一般人を黙らせる工芸技術が必要だ。と、
勝手に思っている。
なかなかいないよ、一人でやろうとするから。
じゃあ、お前は、どうなんだ!って話だけど。
月給が出る仕事についたら、世界に!とは思わなく成るだろうな。
作品で食う!って考えはなくなるから。
趣味性が強いのかな。
作品性より作家性に興味をそそられる。
私だけでは無い気がする。
ん〜
生きてる世界が小さいんだろうな。
向上心もあまりない。
たぶん、自分個人の欲望だけでは、、、、。
向上心がある人って結果として、後輩に道作ってるから、
そう言うの背負った方が、行きやすいのかもな。
誰の幸せを望むか」って話なのかな。
日本にいて、
アカデミー賞、グラミー賞取りたい、とか、
メジャーリーグに入るとか、10年前まで考えもしなかったろうし、
憧れてはいたのかな。
それが世界って言うのも、問題が無いわけではない。が、
その前は、日本が世界だったし、その前は、県が世界だった。
将来的に観れば、地球に引きこもる事になるんだけど。
それに、
私が憧れてる作品、写楽とか、国芳だからな。
リチャードセラ好きだけど、完全に無いものねだりだし、
最近、マチスが好きに成って来たから、少し変わったのかな。
かなり前に
ロビン・ウィリアムズの「いまを生きる」を観た時、
全く感動してないのに、泣いてる自分。
凄いな、仕組みで泣いている」と思った。
しかし、今はロビン・ウィリアムズの演技で泣かせれた、とおもっている。
本気の感情表現は伝わる。
スポーツ中継で、選手のうれし泣き、悔し泣きが、伝わってくる。
もらい泣きをする。
共感。
演技とは、技術でその状態にもっていく。
人に感動を与えたいなら、
本人が感動して無意識で表現する。
技術で感動を意識的に表現する。
私には、圧倒的に技術が足りない。
そういう世界で生きて行くなら、
一から、勉強し直しだ。
デッサンからかな。
ま、結局、
自分の時間は限られている。
誰の幸せを願おうが、
全ては覚悟の問題だ。
と、自分の話で終わらせる。
よくない。
世界な。
間、流れ、関係=縁」を練って行くしかない。
あ、そういうことか。
みるひとのみたいものに
みることでひとつに
じぶんのいばしょ
そこでしたいこと
+
わくわくJOBAN-KASHIWAプロジェクト2010 [わくわくプロジェクト2010]
+
下記の展覧会に参加します!
http://www.kashiwa-art.com/alk10/project/project_09.html
わくわくJOBAN-KASHIWAプロジェクト2010
2010年11月3日(水)〜11月28日(日)
開場時間:12:00〜20:00
場所:island ※火水休
参加者:
有馬かおる、遠藤一郎、craftive、毛原大樹、KENTARO!!、FRESH、水川千春、
パルコキノシタ、豚星なつみ、山城大督、吉永ジェンダー
+
私の展示の参加作家
今井俊介 http://twitter.com/imashunn
木村空海 http://twitter.com/SoramiKimura
大槻英世 http://twitter.com/hohtsuki
この三名はZENSHIの個展から引き続き。
http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/2010-09-05-2
浅野暢晴 http://twitter.com/asanonobuharu
相川小百合
山本知春
この三名は水戸の共同アトリエ ROOTS06。
水戸のキワマリ荘で二年間ギャラリーを運営。
http://roots06.exblog.jp/
福井雄一郎(犬山キワマリ荘の管理人の一人)
私のコレクションを展示。
結城加代子(island)
結城さんには、忙しい所、グループ展の企画で参加をしてもらいました。
結城企画:参加作家
高田冬彦 http://twitter.com/fuyumaro
谷口真人 http://twitter.com/makototaniguchi
*
今回の展示構想:
グループ展inグループ展inグループ展」と、閉じて行くようで、
世界ー柏ーアイランドーグループー有馬ーグループーアイランドー柏ー世界」と、
一周する構造。
私の展示としては、
その中で、ゴザひいて、イシド画材(柏)で購入したモノとかで、
作品の制作販売や、針金http://arimasculpture.tumblr.com/で何か制作してます。
>
結城チーム以外は、11/3(初日)に搬入という暴挙。
今回はスタジオ的=「現場」なので、あり!と判断。
なぜ、結城さんが必要なのか、っていえば、上記の構造のため。
とか、
わくわく」は好奇心と恐怖心。
自由」は不自由があって成立する。
その意味で、結城さんのグループ展(聖域)は私にとっても展示にとっても重要。
自分が「自由」&「わくわく」して現場にいれば、
その感情が伝わるはず。
緊張感が、一ヶ月もつか、は不安ですが。
+
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-11-26
+
下記の展覧会に参加します!
http://www.kashiwa-art.com/alk10/project/project_09.html
わくわくJOBAN-KASHIWAプロジェクト2010
2010年11月3日(水)〜11月28日(日)
開場時間:12:00〜20:00
場所:island ※火水休
参加者:
有馬かおる、遠藤一郎、craftive、毛原大樹、KENTARO!!、FRESH、水川千春、
パルコキノシタ、豚星なつみ、山城大督、吉永ジェンダー
+
私の展示の参加作家
今井俊介 http://twitter.com/imashunn
木村空海 http://twitter.com/SoramiKimura
大槻英世 http://twitter.com/hohtsuki
この三名はZENSHIの個展から引き続き。
http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/2010-09-05-2
浅野暢晴 http://twitter.com/asanonobuharu
相川小百合
山本知春
この三名は水戸の共同アトリエ ROOTS06。
水戸のキワマリ荘で二年間ギャラリーを運営。
http://roots06.exblog.jp/
福井雄一郎(犬山キワマリ荘の管理人の一人)
私のコレクションを展示。
結城加代子(island)
結城さんには、忙しい所、グループ展の企画で参加をしてもらいました。
結城企画:参加作家
高田冬彦 http://twitter.com/fuyumaro
谷口真人 http://twitter.com/makototaniguchi
*
今回の展示構想:
グループ展inグループ展inグループ展」と、閉じて行くようで、
世界ー柏ーアイランドーグループー有馬ーグループーアイランドー柏ー世界」と、
一周する構造。
私の展示としては、
その中で、ゴザひいて、イシド画材(柏)で購入したモノとかで、
作品の制作販売や、針金http://arimasculpture.tumblr.com/で何か制作してます。
>
結城チーム以外は、11/3(初日)に搬入という暴挙。
今回はスタジオ的=「現場」なので、あり!と判断。
なぜ、結城さんが必要なのか、っていえば、上記の構造のため。
とか、
わくわく」は好奇心と恐怖心。
自由」は不自由があって成立する。
その意味で、結城さんのグループ展(聖域)は私にとっても展示にとっても重要。
自分が「自由」&「わくわく」して現場にいれば、
その感情が伝わるはず。
緊張感が、一ヶ月もつか、は不安ですが。
+
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-11-26
+
個展専用ブログを開きました。 [ natural freedom 展 2010]
+
個展 natural freedom が始まりました。
それにともない、個展専用ブログを開きました!
しばらくは、そちら、ばっかりになります。
↓↓下記が個展専用ブログ↓↓
http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/
+
↓↓個展情報 & 割引情報↓↓
http://www.zenshi.com/exhibitions/current.htm
+
個展 natural freedom が始まりました。
それにともない、個展専用ブログを開きました!
しばらくは、そちら、ばっかりになります。
↓↓下記が個展専用ブログ↓↓
http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/
+
↓↓個展情報 & 割引情報↓↓
http://www.zenshi.com/exhibitions/current.htm
+
気になっていた「一言」を考えてみた [自分の作品考察]
+
今後の制作のために、気になっていた「一言」を考えてみた。
例えばこんな一言:
有馬さんの作品は有馬さんだから、批評に意味が無い。
以前は、ちょっと得意げに成ってたりしてたんですが、
それでいいのか!?って話。
実は、自分でさえも、批評?分析?できない。
なぜなら、私にとって良い絵とは、「真実」だ。
そして、「真実」は美しいと思い込んでる。
描いてる時の真実は「その時」しかない。
昨日とか、明日にはないし、比べられない。
ゆえに、嘘の無い、いや、嘘が有ったとしても、
それを受け入れた、真実を表現する事が重要。
技術が有るとすれば、自己の真実追求技術。
でもこれ、他者や過去の作品とも比較できない。
その時の真実は、その時にしか分からないから、
後から作品観ても、「この時は、こんな気持ち」ね、だ。
やっかいなのは、
真実だからって、良い作品とも限らない!
だって、その真実、自分にとってだし、他者に関係ないから。
>
それでも、現状報告の表現は避けてた。
例えば、「今、寂しい」とする。
寂しい絵を描くのではなく、
なぜ寂しいのか、どうすれば、乗り越えられるのか」を描いた。
ゆえに、他者にも薬として発動できた。
>
作品を観て、あ、この作品は嘘だ!とか、
あ、何か隠してる感じがする。とか、
そんな技術は上がった、と言えば上がった。
が、、。
良い「作品」を作るためには、自分の中にも比較対象(目標)が必要だ。
例えば、写真。
1000枚撮ったら、10枚は良いのが入ってる。
第一の壁:
問題は、それを選べる眼を持っているか。
第二の壁:
選んだ10枚の様な写真を意図的に撮れるか。
これができないと、永遠に運頼みだ。
そして、10/1000を10/100にして、
技術を上げていく。
そのためには、明確に目標を持っていなと難しい。
選びながら、発見して行くのもありだろう。
>
蛇足:
23歳時、選別を音楽でやったっら、ジョン・レノンと奥田民生が残った。
美術でやったら、リチャード・セラと歌川国芳が残った。
>
第三の壁:
お金が無くて、フィルムが買えなくても、シャッターを押せるか。
>今はデジタルだから関係ないかな。
私はコレができなかった。
気がついたら、紙に絵を描いてた。
実は、絵が描けなく成った時、写真をやろうと思って、
1年くらい取り組んだ事が有りました。
でもね、無理でした。
私はここまで。
この段階までに学んだことは、
・撮れちゃった写真(運)は駄目。
・撮らされた写真(カワイイモノ、ネタモノに多い)は駄目。
・言いたい事が分からない写真は駄目。
・、、、、、、、?
あれ、5つくらいあったんだけど、忘れた。
でも、これは初歩だね。
参考写真:http://arimaphoto.tumblr.com/
>話を戻す。
とはいえ、私にも、その手の技術が無いわけではない。
もっと真実を伝えられる線」の探求はしてきた。
問題は「その線」を判断できるのが「私」だけだ!ってこと。
よって、巧く成っても、分かるのは「私」だけだった。
さて、
ここでもう一つ、気になる一言:
有馬君の作品は、実物を見ないと「イラスト」だからね。
>
始めに言わなければ成らないのは、
イラストはイラスト、マンガはマンガ、アートはアート。
ジャンルとは、そういうもので、優劣は無い。
大人に成って仕事を始める事をジャンルと例えると、
アートは思春期の若者だ。
ゆえに、無責任で混沌、ある意味、自由。
アートがジャンルに成るのなら、それも通用できないけど。
>
まず、イラストでは駄目なの?って考えた。
駄目でしょう、そんな才能ありません、
ある意味、どれだけ時間かけても、
永遠にイラストに成らない絵」としてのアートなら、
ありだけど、寂しすぎる。
マンガでも同じ事が言える。
では、アートとして、何が足りない!?多い!?
どうして、新聞紙の作品はアートたりえたのか!?
で、前にブログに書いたけど、
リアリティの問題だと考えた。
簡単に言えば、新聞紙には、何も手を加えなくても、
リアリティが存在していた。
素材を変えた場合どうやって、リアリティを入れるのか。
それが問題になってくる。
それは、先の写真の話じゃないけど、
比較する事ができる技術と絡んでるのではないか!?
今まで制作していた作品は、自分のためだった、
たまたま、私の薬(作品)が同じ症状の人に、
たまたま効いただけだ。
なら、今度は私を含めた共通のルールの上で制作したらどうなる?。
で、絵画ベースを文人画から西洋ベースにすり寄ってみる。
切り替えではなく、すり寄る。
さて、どうなるんでしょうか。
乞うご期待。
自分でも楽しみ。
んんn、、、。
今回は長い。
そして、疲れた。
まあ、自分の都合のいい様に、言葉を運んでるだけなんだけど、
リアリティさえあれば、よし!って、あるかな。
+
線の弾き方 [ドローイングについて]
+
線の弾き方
(変換で「弾き」が出て、何か良いから、そのまま)
私の知っている限り、
日本において、大きな画面で線表現が作品に成ってる人は、「すぅすぅ線」が巧い。
なんだそれ!?
書道の線の弾き方そのまま、なんだけど、
普通に習うと、「とん、すぅ、とん」ですよね。
でも書道は色んな線の弾き方がある。
書道は、そのまま、線表現の歴史。
>余談だけど、水戸に居た時、
近くに県図書があって、さすが書道の都!書道史のDVDが大量にある。
現代書道もあって、うれしくて飛び上がった!!
もう、絵画ですよ!
あ、悪い癖。
書道は書道、マンガはマンガ、アートはアート。
で、
当然の様に井上有一もあって最高!
たしかね、エナメルで書いてるんだよ。
紙はみ出してるよ!とか、破れてるんですけど!とかね。
>>蛇足:たまたま、
海外の美術館で「貧」ばっかりの展示を見る事ができたんだけど、
あれ、本当にデカイから。
あれ?なんだっけ?
そうそう、書道は線表現だと思ってて、
かなり、意識して、観てるんだけど、
「すぅすぅ線」の極めつけは、良寛。
良寛最高!
飛ばしすぎた。
「すぅすぅ線」は浮世絵(人物)がだいたいそうです。
衣類は「とん、すぅ、とん」が多いかな。
「すぅすぅ線」にすると、レリーフ問題に通じるけど、
全体に浮き上がっては消えて行く感じになる。
ま、エゴンシーレとか、ピカソの線とは、確実に違います。
でもね、マチスの線は「すぅすぅ線」多いんだよね。
だからかなぁ、、、、。
て、
終わってみよ。
+
9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報&作品割引情報!
↓↓↓↓↓↓
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21
+
http://arimakaoru.blogspot.com/
+
線の弾き方
(変換で「弾き」が出て、何か良いから、そのまま)
私の知っている限り、
日本において、大きな画面で線表現が作品に成ってる人は、「すぅすぅ線」が巧い。
なんだそれ!?
書道の線の弾き方そのまま、なんだけど、
普通に習うと、「とん、すぅ、とん」ですよね。
でも書道は色んな線の弾き方がある。
書道は、そのまま、線表現の歴史。
>余談だけど、水戸に居た時、
近くに県図書があって、さすが書道の都!書道史のDVDが大量にある。
現代書道もあって、うれしくて飛び上がった!!
もう、絵画ですよ!
あ、悪い癖。
書道は書道、マンガはマンガ、アートはアート。
で、
当然の様に井上有一もあって最高!
たしかね、エナメルで書いてるんだよ。
紙はみ出してるよ!とか、破れてるんですけど!とかね。
>>蛇足:たまたま、
海外の美術館で「貧」ばっかりの展示を見る事ができたんだけど、
あれ、本当にデカイから。
あれ?なんだっけ?
そうそう、書道は線表現だと思ってて、
かなり、意識して、観てるんだけど、
「すぅすぅ線」の極めつけは、良寛。
良寛最高!
飛ばしすぎた。
「すぅすぅ線」は浮世絵(人物)がだいたいそうです。
衣類は「とん、すぅ、とん」が多いかな。
「すぅすぅ線」にすると、レリーフ問題に通じるけど、
全体に浮き上がっては消えて行く感じになる。
ま、エゴンシーレとか、ピカソの線とは、確実に違います。
でもね、マチスの線は「すぅすぅ線」多いんだよね。
だからかなぁ、、、、。
て、
終わってみよ。
+
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+
まず、 西洋の線は、「押さえつける」イメージ。 [ドローイングについて]
+
線が、細く、ひょろひょろで、重ね描きのわけ。
まず、
西洋の線は、「押さえつける」イメージ。
>こう見る!
東洋の線は、「受け入れる」イメージ。
>こう聞こえる。
彫刻の制作にも似ている。
西洋は、自立性。
東洋は、レリーフ的。
注)西洋、東洋のくくりは、私のイメージ。
東洋って描いたけど、日本だけかも、とか。
私の場合、西洋の様な力強い線(意志)は表現できない。
何かから、浮き出てる感じにリアリティーを感じる。
そのため、線は細く、ぼやける。
これは、一般的な日本人の線ともいえる。
こう見る!=太い線に、なぜ違和感を覚えるのか、
私なりの解釈を、そこに入れる。
モノを観てる時、止まって見えるのは錯覚だ!。
人は鼓動や呼吸によって、揺れている。
モノと眼の間の大気も揺れている。
そこで、呼吸や風の揺れを表現の中に取り入れてみた。
すると、線は、モサモサになり、ひょろひょろに成る。
ぶれぶれの線。
吹けば飛ぶ様な線。
理想の線の一例:
髪の毛だと思って、手で払ったら、線っだった。
そして、現在の2010年。
絵画のベースを文人画でやって来たんだけど、
ただの下手」とか、「セカイ系」で縛られ、好みを強いる作風。で、
落ち着いた、先が見えない。
そこで、ゲージを西洋絵画ベースに寄せてみることにする。
たぶん、格付けが可能になるだろう、本当にヘタなら、それで良い。
しかし、認知されれば、以前の作品は「味」という価値が発生する。
そして、融合。
線表現を研究してる人は少ない。
線表現を楽しんでる人も少ない。
>線探求の強者がいたら、いたで、嫌なんだろうなぁ。
こんな自分がウザイなぁ。
この絵の、この線が凄い!って言うのをブログに書いていこうかな。
ネタばれになるかな。
上記の件なんて、誰かに言った記憶ないしな。
>
参考:線についての考察
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-04-15-5
参考:ドローイング作品は基本的に作家との距離が近い。
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-04-30-1
9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報&作品割引情報!
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>
とりあえず、今日はここまで。
+
線が、細く、ひょろひょろで、重ね描きのわけ。
まず、
西洋の線は、「押さえつける」イメージ。
>こう見る!
東洋の線は、「受け入れる」イメージ。
>こう聞こえる。
彫刻の制作にも似ている。
西洋は、自立性。
東洋は、レリーフ的。
注)西洋、東洋のくくりは、私のイメージ。
東洋って描いたけど、日本だけかも、とか。
私の場合、西洋の様な力強い線(意志)は表現できない。
何かから、浮き出てる感じにリアリティーを感じる。
そのため、線は細く、ぼやける。
これは、一般的な日本人の線ともいえる。
こう見る!=太い線に、なぜ違和感を覚えるのか、
私なりの解釈を、そこに入れる。
モノを観てる時、止まって見えるのは錯覚だ!。
人は鼓動や呼吸によって、揺れている。
モノと眼の間の大気も揺れている。
そこで、呼吸や風の揺れを表現の中に取り入れてみた。
すると、線は、モサモサになり、ひょろひょろに成る。
ぶれぶれの線。
吹けば飛ぶ様な線。
理想の線の一例:
髪の毛だと思って、手で払ったら、線っだった。
そして、現在の2010年。
絵画のベースを文人画でやって来たんだけど、
ただの下手」とか、「セカイ系」で縛られ、好みを強いる作風。で、
落ち着いた、先が見えない。
そこで、ゲージを西洋絵画ベースに寄せてみることにする。
たぶん、格付けが可能になるだろう、本当にヘタなら、それで良い。
しかし、認知されれば、以前の作品は「味」という価値が発生する。
そして、融合。
線表現を研究してる人は少ない。
線表現を楽しんでる人も少ない。
>線探求の強者がいたら、いたで、嫌なんだろうなぁ。
こんな自分がウザイなぁ。
この絵の、この線が凄い!って言うのをブログに書いていこうかな。
ネタばれになるかな。
上記の件なんて、誰かに言った記憶ないしな。
>
参考:線についての考察
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-04-15-5
参考:ドローイング作品は基本的に作家との距離が近い。
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-04-30-1
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>
とりあえず、今日はここまで。
+
絵描きは、自分勝手だ。 [自分の作品考察]
+
いきなりだが、絵描きは、自分勝手だ。
たとえば、何かを観る。
描きたいモノしか描かない。
下手すると、それ以外見えていない。
そして、描きたい様にしか、描かない。
それが、すぐに出るのが写真だ。
よく言われる、絵描きの写真。
資料の様な、ネタの様な写真。
撮った本人は、撮りたいモノが写ってるから、自信満々で見せる。
でも、写真には、モノ」意外の細部まで写っている。
それを見た人は、何が撮りたかったのか分からない。
色々写ってるし、構図もなってない。
不思議な事に、本人には、それが見えない。
>本当に、見えないんだよね。
そんなわけで、分かってる人は、日の丸構図が多い。
そして、解放で撮影!背景をぼかす。
話を戻そう。
描きたいモノを、描きたい様にしか、描かない。
作品制作だけに、それを使用するなら良いが、
若い時は、当たり前の様に、そうやって生活する。
世の中を、見たい様にしか見ない。
そして、それを、信じていて、プライドもある。
たちが悪い。
やっかいだ。
ギャラリーやってた時、女子に、20代の絵描きだけは、やめとけ!って
よく言ってった。デザインやってる人の方が良いよって。
デザインは相手の事を考えないと、仕事にならないからね。
絵描きは、もう、自分自分だから。
学生のうちは、それが、輝いて見えるんだろうけど。
逆に言えば、絵描きの20代は試練です!
30歳超えだすと、色々答えが見えだすし、
自分だけに使ってた、お金や時間を、誰かのためにって思える様に成る。
おしまい、、、
>今、思ったんだけど、
おしまい」って「尾を、しまう」って事かな。
ググッた。
御仕舞い」だった。
+
自分の治療のために薬(作品)を作ってきたけど [自分の作品考察]
+
私の場合の自己治療作品。
まず、始めにした事は、嘘をつかない事。
知らない事を知らないと言い、
カッコウをつけない。
これをすれば、人としゃべっていても、
勝ちはしないけど、負けも無い。
作品にもそれが出てくる。
当時はタブーのマンガの影響なども話す。
だいたいが、無視。
アートじゃない!」と言われる。
エログロ!アウトサイダー!
ただ、だからこそ、アートについて勉強もした。
小さな図書館で本読んだだけだけど。
そんなこんなで、
キワマリ荘を開設し個展を開く。
その頃から、
感動しました。」と、言う人が増えだし、
泣く人もいた。
>変わった人では、オナニーする人もいた。
その時思ったのは、
そうか、自分の治療のために薬(作品)を作ってきたけど、
私と同じ病気の人には、効くんだ!ってこと。
その人数はけして、多くは無い。
でも、必要とされている。
その時の幸福感は今も忘れない。
しかし、腕が良かったのか、特効薬の精度が上がっていく。
と、どうなるか、
効く人には効くけど、効かない人にはまったく効かない。
ピンポイントの精度が上がりすぎてゆく。
最終的には、結局、自分にしか効かなく成った、かな。
物事は全てエンだと思っている。
天才が馬鹿に見える様に、
個を突き詰めれば他に繋がる、と思っている。
逆もあるだろう。
しかし、まあ、絵が描けなく成ったので、
絵を描くの、止めようかな、と思ったのも事実だけど。
なぜかって、言えば、
絵を描き続けるために、不幸の連鎖に戻る人を何人も観て来たから。
幸せに成るために絵を描いて来たのに、
幸せなると、絵がかけない、、、、と悩む。
本末転倒だ。
そんな事を何年も悩んでやっと、「仕事として絵を描く」イメージがわく。
それまでは、作品売りたく無かった。
売るぐらいなら、あげる方がよかった。
>実際、水戸に引っ越す時1/3を譲った。
そんなんだったから、入場料をとって展覧会をしてた。
名古屋の企画ギャラリーに、1年くらい入っていたが、
その原因が元で抜けた。
あれも、これも、売りたく無い!
いい加減にしろっ!て話だよ。まったくだ。
じゃあ、どうやって食べてたの?って話だけど、
レンタルスペースで年収100万稼いでました。
あと、個展の入場料が15万くらい。
貯金は30万くらいは、常にあった。
何、自慢?恥ずかしく無いの?って思うだろうな?普通。
でも、週に3日しか働いてなくて、あと自由って楽しかったな。
まったく不自由がなかったし。
近くにいつも図書館あったしね。
>意外にまねできないみたいだけどね。
毎日、朝起きると、「今日は何しよう!10年」だからね。
欲しいモノも無かったし、月8万で暮らしてて、
500円貯金3年で15万くらいたまって、それで、
パソコン買ったりとか、人はキワマリ荘に毎週来てくれてたし、
あ、そうそう、重要な事思い出した。
スペースのオーナーを演じていたら、
それが、定着?自分になっていく?んだよね。
まな板の上の鯉。
せっかく、遠い所から来てもらったんだからって、
接客するでしょ、しゃべるでしょ。
対人恐怖症直ったよ。
生きていくためには、何でもするんだね、体は。
私の基本方針:
楽して暮らすためなら、どんな努力もする!っていう矛盾行動!
で、
で、
で、
去年!、よし売るぞ!ってなって、やってみたら、
年収70万で貯金2万って、死んじゃうよ!
完全に切り替え失敗したよ!
9月にする個展、眼の色違ってても許してください。
個展情報→ http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21
あ!、何の話してたか、また忘れた。
そして、疲れt。
+
私の場合の自己治療作品。
まず、始めにした事は、嘘をつかない事。
知らない事を知らないと言い、
カッコウをつけない。
これをすれば、人としゃべっていても、
勝ちはしないけど、負けも無い。
作品にもそれが出てくる。
当時はタブーのマンガの影響なども話す。
だいたいが、無視。
アートじゃない!」と言われる。
エログロ!アウトサイダー!
ただ、だからこそ、アートについて勉強もした。
小さな図書館で本読んだだけだけど。
そんなこんなで、
キワマリ荘を開設し個展を開く。
その頃から、
感動しました。」と、言う人が増えだし、
泣く人もいた。
>変わった人では、オナニーする人もいた。
その時思ったのは、
そうか、自分の治療のために薬(作品)を作ってきたけど、
私と同じ病気の人には、効くんだ!ってこと。
その人数はけして、多くは無い。
でも、必要とされている。
その時の幸福感は今も忘れない。
しかし、腕が良かったのか、特効薬の精度が上がっていく。
と、どうなるか、
効く人には効くけど、効かない人にはまったく効かない。
ピンポイントの精度が上がりすぎてゆく。
最終的には、結局、自分にしか効かなく成った、かな。
物事は全てエンだと思っている。
天才が馬鹿に見える様に、
個を突き詰めれば他に繋がる、と思っている。
逆もあるだろう。
しかし、まあ、絵が描けなく成ったので、
絵を描くの、止めようかな、と思ったのも事実だけど。
なぜかって、言えば、
絵を描き続けるために、不幸の連鎖に戻る人を何人も観て来たから。
幸せに成るために絵を描いて来たのに、
幸せなると、絵がかけない、、、、と悩む。
本末転倒だ。
そんな事を何年も悩んでやっと、「仕事として絵を描く」イメージがわく。
それまでは、作品売りたく無かった。
売るぐらいなら、あげる方がよかった。
>実際、水戸に引っ越す時1/3を譲った。
そんなんだったから、入場料をとって展覧会をしてた。
名古屋の企画ギャラリーに、1年くらい入っていたが、
その原因が元で抜けた。
あれも、これも、売りたく無い!
いい加減にしろっ!て話だよ。まったくだ。
じゃあ、どうやって食べてたの?って話だけど、
レンタルスペースで年収100万稼いでました。
あと、個展の入場料が15万くらい。
貯金は30万くらいは、常にあった。
何、自慢?恥ずかしく無いの?って思うだろうな?普通。
でも、週に3日しか働いてなくて、あと自由って楽しかったな。
まったく不自由がなかったし。
近くにいつも図書館あったしね。
>意外にまねできないみたいだけどね。
毎日、朝起きると、「今日は何しよう!10年」だからね。
欲しいモノも無かったし、月8万で暮らしてて、
500円貯金3年で15万くらいたまって、それで、
パソコン買ったりとか、人はキワマリ荘に毎週来てくれてたし、
あ、そうそう、重要な事思い出した。
スペースのオーナーを演じていたら、
それが、定着?自分になっていく?んだよね。
まな板の上の鯉。
せっかく、遠い所から来てもらったんだからって、
接客するでしょ、しゃべるでしょ。
対人恐怖症直ったよ。
生きていくためには、何でもするんだね、体は。
私の基本方針:
楽して暮らすためなら、どんな努力もする!っていう矛盾行動!
で、
で、
で、
去年!、よし売るぞ!ってなって、やってみたら、
年収70万で貯金2万って、死んじゃうよ!
完全に切り替え失敗したよ!
9月にする個展、眼の色違ってても許してください。
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あ!、何の話してたか、また忘れた。
そして、疲れt。
+
展示とはなんだろう。 [ natural freedom 展 2010]
+
展示とはなんだろう。
ギャラリーでの展示の場合、
すぐ思いつくのは、二つのベクトル。
美術館関係者に向かうベクトル、
コレクターに向かうベクトル。
前回、私はそのどちらも失敗した。
と、いうより、今まで成功した事が無い。
そして、前回の失敗により、決断。
展示するのや〜めた。
どうも、私は展示が下手だ。
今までも、散々言われて来た。
後は、展示の仕方だ。と。
実際そうなんだけど、
コレだけやっても、無理なものは無理!
だってさ、10年くらい前に言われたんだけど、
「展示する事考えて作ってないでしょ!」って、
コレ言われた時は、納得せざるをえなかった。
そして、その姿勢は今も変わらない。
いや、変えられなかった。
だいたい、壁が嫌い。
壁に何か飾るのが嫌い。
と、ダダをこねる。
じゃあ、どうすんの?って話。
最近、刑事ドラマを借りて大量に観た。
相棒、ハンチョウ、クリミナルマインド3、BOSS。
なぜ面白いんだろう!?
それは、事件が起きる、そして、真実は一つだから。
鑑賞者と作品と作者=事件」と考える。
答えは簡単だ。
私の場合は「キワマリ荘」。
その名前で、貸し画廊で4回個展。
その後、大家さんの許可を得て、住んでるアパートを「キワマリ荘」に改名、、、。
さらに昔を思い出す。
こんな企画展をした。
1994年、ウンプテンプテン 143(カノーヴァン/名古屋) 。
タイトルは「笋(たけのこ)のウンプテンプの出所哉」(小林一茶)から取った。
内容は、画廊で展示がしたいけど、お金が、、って人がいたから、じゃあ、
140人集めれば、一人500円で画廊が借りれる。よって、始めた。
最終的には150人超え、小学生から、80代のおじいちゃんまでの展示になった。
純粋なお客はいたんだろうか。
まあ、どうなるか分からなかったから、
ウンプテンプ(運否天賦:運を天にまかせる事)したんだけど。
変わってないなぁ、と思う。
それとは逆に、アートドラキュラ展では、
部屋のカギとライトを渡して、一人で鑑賞する。ってこともした。
共通してるのは、常に私が居た、という事だ。
そして、「場所」が重要だな。
鑑賞者と作品と作者+場所=事件。
つづく、、、、、、いきなり!?
だって、考えるの疲れた。
なんだこれ。
+
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+
展示とはなんだろう。
ギャラリーでの展示の場合、
すぐ思いつくのは、二つのベクトル。
美術館関係者に向かうベクトル、
コレクターに向かうベクトル。
前回、私はそのどちらも失敗した。
と、いうより、今まで成功した事が無い。
そして、前回の失敗により、決断。
展示するのや〜めた。
どうも、私は展示が下手だ。
今までも、散々言われて来た。
後は、展示の仕方だ。と。
実際そうなんだけど、
コレだけやっても、無理なものは無理!
だってさ、10年くらい前に言われたんだけど、
「展示する事考えて作ってないでしょ!」って、
コレ言われた時は、納得せざるをえなかった。
そして、その姿勢は今も変わらない。
いや、変えられなかった。
だいたい、壁が嫌い。
壁に何か飾るのが嫌い。
と、ダダをこねる。
じゃあ、どうすんの?って話。
最近、刑事ドラマを借りて大量に観た。
相棒、ハンチョウ、クリミナルマインド3、BOSS。
なぜ面白いんだろう!?
それは、事件が起きる、そして、真実は一つだから。
鑑賞者と作品と作者=事件」と考える。
答えは簡単だ。
私の場合は「キワマリ荘」。
その名前で、貸し画廊で4回個展。
その後、大家さんの許可を得て、住んでるアパートを「キワマリ荘」に改名、、、。
さらに昔を思い出す。
こんな企画展をした。
1994年、ウンプテンプテン 143(カノーヴァン/名古屋) 。
タイトルは「笋(たけのこ)のウンプテンプの出所哉」(小林一茶)から取った。
内容は、画廊で展示がしたいけど、お金が、、って人がいたから、じゃあ、
140人集めれば、一人500円で画廊が借りれる。よって、始めた。
最終的には150人超え、小学生から、80代のおじいちゃんまでの展示になった。
純粋なお客はいたんだろうか。
まあ、どうなるか分からなかったから、
ウンプテンプ(運否天賦:運を天にまかせる事)したんだけど。
変わってないなぁ、と思う。
それとは逆に、アートドラキュラ展では、
部屋のカギとライトを渡して、一人で鑑賞する。ってこともした。
共通してるのは、常に私が居た、という事だ。
そして、「場所」が重要だな。
鑑賞者と作品と作者+場所=事件。
つづく、、、、、、いきなり!?
だって、考えるの疲れた。
なんだこれ。
+
9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報&作品割引情報!
↓↓↓↓↓↓
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21
+
過去は記憶、宇宙は「いま」しかない。 [ natural freedom 展 2010]
+
過去が存在するから、未来が生まれる、
過去と未来があるなら「今」は点になる、
今」が無くなれば、過去に縛られ未来が消える。
過去は記憶、宇宙は「いま」しかない。
+
みること、きくこと、かんじること、遠近法を使わないで、あること。
+
縛り(〜でなければならない。)によって発生するモノは、個性ではなく役割。
個性は、もっと自由で、自然。
+
私たちは、自然の世界ではなく、自由と不自由の世界にいる。
その世界を鳥瞰図的にとらえる事。
本来の自然は分かれてないし、よく知らない。
自由も不自由も自然にある」感じ。
未開の自然とは違う、人間の作った「新しい自然」。
natural freedom
+
9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報&作品割引情報!
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過去と未来があるなら「今」は点になる、
今」が無くなれば、過去に縛られ未来が消える。
過去は記憶、宇宙は「いま」しかない。
+
みること、きくこと、かんじること、遠近法を使わないで、あること。
+
縛り(〜でなければならない。)によって発生するモノは、個性ではなく役割。
個性は、もっと自由で、自然。
+
私たちは、自然の世界ではなく、自由と不自由の世界にいる。
その世界を鳥瞰図的にとらえる事。
本来の自然は分かれてないし、よく知らない。
自由も不自由も自然にある」感じ。
未開の自然とは違う、人間の作った「新しい自然」。
natural freedom
+
9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報&作品割引情報!
↓↓↓↓↓↓
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21
+
http://arimakaoru.blogspot.com/
+
個性ではなく役割。 [ natural freedom 展 2010]
+
父と母は役割なのに、個性に翻弄する両親。
本気の甘えも、本気の自律(自立)も許されず、
自由と言う名で、ほったらかしの子供。
不自由は自由の海にある浮き輪。
+
縛り(〜でなければならない。)によって発生するモノは、個性ではなく役割。
個性は、もっと自由で、自然。
+
9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21
+
父と母は役割なのに、個性に翻弄する両親。
本気の甘えも、本気の自律(自立)も許されず、
自由と言う名で、ほったらかしの子供。
不自由は自由の海にある浮き輪。
+
縛り(〜でなければならない。)によって発生するモノは、個性ではなく役割。
個性は、もっと自由で、自然。
+
9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21
+
九月のゼンシでの展覧会 "natural freedom " について [ natural freedom 展 2010]
+
九月の個展情報!!
+
場所:ZENSHI http://zenshi.com
日時:9月3日〜10月9日
時間:12:00〜19:00
開場日:木〜土曜日
作家は毎日います。
注意)上の理由でいつもと違い水曜日も休み。
*オープニングは無し。
タイトル:natural freedom
このタイトルは、しばらく続くと思います。
今回のテーマ:Work - concept - museum = toilet or,
新しい事をする」ってよりは、初心に返る感じ。
キワマリ荘始めた頃の純粋な欲望。
+
作品購入のお得情報:最大3割引!
1):作家のツイッターフォロー:1割引
2):30歳以下:1割引
3):展覧会期間中の現金払い:1割引
4):1)2)3)の合わせ技2割引までOK!
5):同時に3点以上購入:三点目より1割引
6)割引対象作品は、有馬かおるの2010年からの作品、Gigabeltシリーズと、ZENSHIでの前個展作品。
・ブログ(http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/ )から GigaBelt 2010〜 をクリックして、ご確認ください。
・ZENSHIのホームページ(http://zenshi.com/artists/arima/works_lotus01.htm)の作品画像で、ご確認ください。
7)購入希望の方は取り扱い画廊ZENSHI(E@zenshi.com)に問い合わせください。
2010/09/03現在
+
作品の値段について、
ブログのマイカテゴリー「Gigabelt2010〜」を、観ているとして、
・たくさん穴の開いた紙(B5)は3万円
・穴二つの格子の紙(A4)は4万円
・色付きの画用紙(B4)は5万円
・黄色っぽい紙(42x29.5cm)は8万円
な、感じです。
なので、ほぼ3〜5万円です。
スキャナーが、A4までなので、B4色付きは、
ふにゃってるし、黄色っぽい紙の作品は中心部分だけです。
興味のある方は、会場に足を運んでみてください。
http://www.zenshi.com/
+
http://arimakaoru.blogspot.com/
+
九月の個展情報!!
+
場所:ZENSHI http://zenshi.com
日時:9月3日〜10月9日
時間:12:00〜19:00
開場日:木〜土曜日
作家は毎日います。
注意)上の理由でいつもと違い水曜日も休み。
*オープニングは無し。
タイトル:natural freedom
このタイトルは、しばらく続くと思います。
今回のテーマ:Work - concept - museum = toilet or,
新しい事をする」ってよりは、初心に返る感じ。
キワマリ荘始めた頃の純粋な欲望。
+
作品購入のお得情報:最大3割引!
1):作家のツイッターフォロー:1割引
2):30歳以下:1割引
3):展覧会期間中の現金払い:1割引
4):1)2)3)の合わせ技2割引までOK!
5):同時に3点以上購入:三点目より1割引
6)割引対象作品は、有馬かおるの2010年からの作品、Gigabeltシリーズと、ZENSHIでの前個展作品。
・ブログ(http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/ )から GigaBelt 2010〜 をクリックして、ご確認ください。
・ZENSHIのホームページ(http://zenshi.com/artists/arima/works_lotus01.htm)の作品画像で、ご確認ください。
7)購入希望の方は取り扱い画廊ZENSHI(E@zenshi.com)に問い合わせください。
2010/09/03現在
+
作品の値段について、
ブログのマイカテゴリー「Gigabelt2010〜」を、観ているとして、
・たくさん穴の開いた紙(B5)は3万円
・穴二つの格子の紙(A4)は4万円
・色付きの画用紙(B4)は5万円
・黄色っぽい紙(42x29.5cm)は8万円
な、感じです。
なので、ほぼ3〜5万円です。
スキャナーが、A4までなので、B4色付きは、
ふにゃってるし、黄色っぽい紙の作品は中心部分だけです。
興味のある方は、会場に足を運んでみてください。
http://www.zenshi.com/
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http://arimakaoru.blogspot.com/
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不自由は自由の海にある浮き輪。 [ natural freedom 展 2010]
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不自由は自由の海にある浮き輪。
私たちは、自然の世界ではなく、
自由と不自由の世界にいる。
自然は矛盾で生きにくいから。
しかし、
自由と不自由があるから、自我が生まれ、区別が生まれ、差別に発展する。
別の言い方をすれば、「同じ」と「違い」でもいい。
矛盾が、矛盾にならない様に整備された世界。
整備する力があれば、幸せな世界。
本当に?
ではなぜ、自然を目指す。
それは、自由と不自由を鳥瞰図の様に受け入れたいからだ。
もう一つ上部の世界。
今ある悩みは無くなるが、
別の悩みが生まれるかもな。
だが、今を受け入れるには、
駒が足りない、視点が足りない。
そうそう、
アーティストにしか、見えない世界、
住めない世界が、あると思っていて、
だから、アーティストに成りたい!と、思ったんだ。
1999年、ワタリウムで、
何人かのアーティストと話した時、
ここに居るのに、居ない感じ、
私の過去や未来に、話してる感じ。
あの時確かに感じた、アーティストの存在と場所。
natural freedom。
次の展覧会(9月)からのタイトルでもある。
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不自由は自由の海にある浮き輪。
私たちは、自然の世界ではなく、
自由と不自由の世界にいる。
自然は矛盾で生きにくいから。
しかし、
自由と不自由があるから、自我が生まれ、区別が生まれ、差別に発展する。
別の言い方をすれば、「同じ」と「違い」でもいい。
矛盾が、矛盾にならない様に整備された世界。
整備する力があれば、幸せな世界。
本当に?
ではなぜ、自然を目指す。
それは、自由と不自由を鳥瞰図の様に受け入れたいからだ。
もう一つ上部の世界。
今ある悩みは無くなるが、
別の悩みが生まれるかもな。
だが、今を受け入れるには、
駒が足りない、視点が足りない。
そうそう、
アーティストにしか、見えない世界、
住めない世界が、あると思っていて、
だから、アーティストに成りたい!と、思ったんだ。
1999年、ワタリウムで、
何人かのアーティストと話した時、
ここに居るのに、居ない感じ、
私の過去や未来に、話してる感じ。
あの時確かに感じた、アーティストの存在と場所。
natural freedom。
次の展覧会(9月)からのタイトルでもある。
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アウトサイダーとそうじゃない人の違いは、 自分の意志で、作品発表する事」。 [自分の作品考察]
+
作品を見る時、
作家性で観るのか、作品性で観るのか、で変わるし、
作家本人の「美を作り出す意識」と、
アウトサイダーの鑑賞者による「美」の発見は違う。
アウトサイダーとそうじゃない人の違いは、
「自分の意志で、作品発表する事」。
+
人間の可能性を切り開いた人」をアーティストと呼んでいる。
その中の、美術部門なのだから、「美」はいるでしょ。
って話なら、今の作品「美」ある?って話に成らないのかな?
それは、作家性が美なのかな。
デュシャンの呪縛にすぎないのかな。
+
イラストレーションも浮世絵の逆輸入の進化版と考えると、ありなのか。
んんんんんん、
まてまて、
自分の正当性を言うために、他者を否定しない事。
か。
自分が正しいと思いたいのは、
何かに怯えてるのかな。
+
むむむ、、、む。
+
「マチスは最後に光と祈りを求めた。」
+
と、思いたい、のか、な。
+
いったい、どれだけの、理屈に縛られてるんだろう。
というか、何のために、こんな事考えてるんだろう。
んn、、、、、、、。
、、、、客観性、、、、、。
他人の作品だと、良い、悪い、何かひっかっかる、を瞬間で分けれる。
自分の作品を、どれだけ客観視できるか、それだけが重要だ。
でないと、がんばった」とか、時間とか、お金かけた」とかに引っ張られる。
良い所を無理矢理増幅させたり。
でも、それって、結局、どういう事、なんだろう?
客観性な。
作品を鏡、って落とすのは、良く無いな。
つづく、
+
作品を見る時、
作家性で観るのか、作品性で観るのか、で変わるし、
作家本人の「美を作り出す意識」と、
アウトサイダーの鑑賞者による「美」の発見は違う。
アウトサイダーとそうじゃない人の違いは、
「自分の意志で、作品発表する事」。
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人間の可能性を切り開いた人」をアーティストと呼んでいる。
その中の、美術部門なのだから、「美」はいるでしょ。
って話なら、今の作品「美」ある?って話に成らないのかな?
それは、作家性が美なのかな。
デュシャンの呪縛にすぎないのかな。
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イラストレーションも浮世絵の逆輸入の進化版と考えると、ありなのか。
んんんんんん、
まてまて、
自分の正当性を言うために、他者を否定しない事。
か。
自分が正しいと思いたいのは、
何かに怯えてるのかな。
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むむむ、、、む。
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「マチスは最後に光と祈りを求めた。」
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と、思いたい、のか、な。
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いったい、どれだけの、理屈に縛られてるんだろう。
というか、何のために、こんな事考えてるんだろう。
んn、、、、、、、。
、、、、客観性、、、、、。
他人の作品だと、良い、悪い、何かひっかっかる、を瞬間で分けれる。
自分の作品を、どれだけ客観視できるか、それだけが重要だ。
でないと、がんばった」とか、時間とか、お金かけた」とかに引っ張られる。
良い所を無理矢理増幅させたり。
でも、それって、結局、どういう事、なんだろう?
客観性な。
作品を鏡、って落とすのは、良く無いな。
つづく、
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