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2011 ~ [+α]



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この記事が108個目。 煩悩。 [最後に、、、]



2011(後厄:42)に備えて。



3年前、まとめ的作品を制作した。
それが、全てだと思った。

http://arimasunmoon.tumblr.com/

その作品を観れば、
自分が、何をすれば良いのか解った。
心も落ち着いた。

実際、製作をしなく成ってたし、
作品を作るのを止めようと思ってた。

ところが、
その作品(思考)、妻には通じなかった。

この作品は、自分を洗脳するために機能しただけだった。
世の中が変わらないなら、自分が変われば良い。

しかし、
ふたりで居るのだから、
ふたりで、なんとかしないと、

私が変わるだけでは、
彼女が変わるだけでは、
同時に変わる何かが必要だった。

そんなわけで、
私の製作した、今までの作品は、
私にとって、まったく機能しなく成った。

そして、
結婚2年目。

まだまだ、先は長い、、、、



今までは、自分に向き合った絵を描いて来たけど、
これからは、他者と向き合う絵を描くのか、、、。



8の視点と、8種類の線を確認。

視点においては、5段階目。




印鑑問題最後の結論:

紙作品に置いては、全て押す。

あと最近(個展の後)、サイン変えた。



10年前にくらべ、作品に文字を入れる事が無くなって来た。
言いたい事が無くなって来たのか?。
絵でしか伝えられない事の方が、多く成ったのか。

そもそも、絵の中に文字を普通に入れだしたのは、
絵で描くより、文字で書いた方が伝わりやすいなら、それでいい。と、思ったから。

私の場合、どっちにしても線表現に変わりはないし。

あと、作品を離れて観るようになったし、肘を浮かせて描くようになった。



ちなみに、今年(大厄年)の出来事:

柳デザインの包丁が欠け、
電子辞書が2台壊れ、
硝子が割られ,
マウスが壊れ、
DSが壊れ、
携帯紛失。

で、人生最低の年収更新。



ちなみに、この記事が108個目。

煩悩。


このブログの108の記事全てが煩悩。

そして、生きる喜び。



arimakaoru2010room.jpg







2010/12/26


有馬かおる





では、
では、







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1983年(14歳)の絵〜 [自分の作品考察]




下記のアドレスで、
1983年(14歳)から1990年くらいまでの、
絵とかマンガを載せていきます。


http://arima1984.blogspot.com/


もしくは、左の「 1983 ~ 1990 」をクリック。




こんなの見つけた。
懐かしい。
そして、恥ずかしい。

http://channel.walkerart.org/play/artist-interview-kaoru-arima/

wac01arima.jpg




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突き抜け [自分の作品考察]



DSが壊れた。
もう少しで、無罪っだったのに。
本格的に、絵を描く事以外何もする事が無い。

なので、前の個展で出品して、売れなかった不良在庫を改良した。
主に、6、7月に制作したB4サイズのモノ。

ほぼ別物。
良く成ったと思う。
というか、作品に成ったと思う。

その過程で、何枚か回収不可能に成ったけど。

http://arimaworks2011.blogspot.com/search/label/Before-After

その前に、途中の作品なんて、発表するな!って話だけど、
そんなの、本人に解る分けない。

解ってたら、その時に直してるし、
作品なんて、ほぼ、途中だ。

でさ、完成したら、
次どうするの?って言ってくるんだよね。

まあ、いいけど。



色々言われた事を、思い出して、制作してたんだけど、

今まで、人に批判された事って直した事が無い!って事を思い出した。
伝えたい事は、伝わっている。
それが、ネガティブに伝わってるだけだ。

好きとか嫌いとか。
そんな事、関係ないくらいに、突き抜けてないから、
傷口みたいに、触られると、ヒリヒリする。

突き抜け方が足りないだけだ。
突き抜けちゃえば、誰も何も言わなく成る。
表現者だから、
それだけで、終わったらダメなんだけど。

新しい美意識。

ダメだって言われても、やりたい事は、
突き抜けないといけない。

そう言う意味で、
他者の感想は大切だ。
とくに長い付き合いの人の批評。
自分が何に「イラッ」とするか、解る。
そこがキモだ。
取り入れる事ができる事は、全部取り入れる。
でも、いくつか、
何故か、止めたく無い事もある。

それは、
突き抜けるしかない。






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流れ、繋がり。 [自分の作品考察]




日本人は、作品一つで、西洋に勝てるんだろうか。
右手に神、左手に言葉。

なんとかナーレとかで、個展形式で競わなくてもいいんじゃないだろうか。
個展でも、今の作品ではなくて、今までの作品の流れを、
その人の生き方を「美」として発表できないんだろうか。
まあ、その結果、年寄りが多く成るけど。

ダメなのかなぁ流れで勝負するのは、
繋がり(グループ展)で、勝負するのは。

文章、マンガとか、皆の大好きな、坂本龍馬とか。

一つの作品を自立させていく方法で、勝てるのかなあ。
映画のセットとか、小道具止まりに、なってしまわないかな。

まあ、そこで、勝負しようとしても、
相手に理解されない可能性が大きいから、意味ないか。

希に突然変異とか、その場所から追い出された人が覚醒するけど。
それに、続けと言われてもなぁ。

って言っていてもしょうがない。

作品で食べて行こうと思ったら、向こうで成功するしかない。
コレクターの数が違う。

日本で食うなら、教育機関か助成金。

今の日本人が、今のまま、世界に行ける日が来るといいけど。
無理だろうなぁ。質が違う。

なんだかんだ言って、美術手帳は今も学生のバイブルだから、
4年で、学生のリセットは可能だ。

世界で活躍しようと思ったら、
立体から絵画までこなして、一般人を黙らせる工芸技術が必要だ。と、
勝手に思っている。
なかなかいないよ、一人でやろうとするから。

じゃあ、お前は、どうなんだ!って話だけど。

月給が出る仕事についたら、世界に!とは思わなく成るだろうな。
作品で食う!って考えはなくなるから。

趣味性が強いのかな。
作品性より作家性に興味をそそられる。
私だけでは無い気がする。
ん〜

生きてる世界が小さいんだろうな。
向上心もあまりない。

たぶん、自分個人の欲望だけでは、、、、。
向上心がある人って結果として、後輩に道作ってるから、
そう言うの背負った方が、行きやすいのかもな。

誰の幸せを望むか」って話なのかな。

日本にいて、
アカデミー賞、グラミー賞取りたい、とか、
メジャーリーグに入るとか、10年前まで考えもしなかったろうし、
憧れてはいたのかな。
それが世界って言うのも、問題が無いわけではない。が、

その前は、日本が世界だったし、その前は、県が世界だった。
将来的に観れば、地球に引きこもる事になるんだけど。

それに、
私が憧れてる作品、写楽とか、国芳だからな。
リチャードセラ好きだけど、完全に無いものねだりだし、

最近、マチスが好きに成って来たから、少し変わったのかな。

かなり前に

ロビン・ウィリアムズの「いまを生きる」を観た時、
全く感動してないのに、泣いてる自分。
凄いな、仕組みで泣いている」と思った。

しかし、今はロビン・ウィリアムズの演技で泣かせれた、とおもっている。
本気の感情表現は伝わる。
スポーツ中継で、選手のうれし泣き、悔し泣きが、伝わってくる。
もらい泣きをする。
共感。
演技とは、技術でその状態にもっていく。

人に感動を与えたいなら、

本人が感動して無意識で表現する。
技術で感動を意識的に表現する。

私には、圧倒的に技術が足りない。

そういう世界で生きて行くなら、
一から、勉強し直しだ。
デッサンからかな。

ま、結局、
自分の時間は限られている。
誰の幸せを願おうが、
全ては覚悟の問題だ。

と、自分の話で終わらせる。
よくない。

世界な。

間、流れ、関係=縁」を練って行くしかない。
あ、そういうことか。


みるひとのみたいものに
みることでひとつに

じぶんのいばしょ
そこでしたいこと




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わくわくJOBAN-KASHIWAプロジェクト2010 [わくわくプロジェクト2010]


 

下記の展覧会に参加します!

http://www.kashiwa-art.com/alk10/project/project_09.html

わくわくJOBAN-KASHIWAプロジェクト2010

2010年11月3日(水)〜11月28日(日)
開場時間:12:00〜20:00
場所:island ※火水休

参加者:
有馬かおる、遠藤一郎、craftive、毛原大樹、KENTARO!!、FRESH、水川千春、
パルコキノシタ、豚星なつみ、山城大督、吉永ジェンダー




私の展示の参加作家

今井俊介 http://twitter.com/imashunn
木村空海 http://twitter.com/SoramiKimura
大槻英世 http://twitter.com/hohtsuki

この三名はZENSHIの個展から引き続き。
http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/2010-09-05-2

浅野暢晴 http://twitter.com/asanonobuharu
相川小百合
山本知春

この三名は水戸の共同アトリエ ROOTS06。
水戸のキワマリ荘で二年間ギャラリーを運営。
http://roots06.exblog.jp/

福井雄一郎(犬山キワマリ荘の管理人の一人)
私のコレクションを展示。

結城加代子(island)

結城さんには、忙しい所、グループ展の企画で参加をしてもらいました。

結城企画:参加作家
高田冬彦 http://twitter.com/fuyumaro
谷口真人 http://twitter.com/makototaniguchi



今回の展示構想:

グループ展inグループ展inグループ展」と、閉じて行くようで、
世界ー柏ーアイランドーグループー有馬ーグループーアイランドー柏ー世界」と、
一周する構造。

私の展示としては、
その中で、ゴザひいて、イシド画材(柏)で購入したモノとかで、
作品の制作販売や、針金http://arimasculpture.tumblr.com/で何か制作してます。



結城チーム以外は、11/3(初日)に搬入という暴挙。
今回はスタジオ的=「現場」なので、あり!と判断。

なぜ、結城さんが必要なのか、っていえば、上記の構造のため。

とか、
わくわく」は好奇心と恐怖心。
自由」は不自由があって成立する。

その意味で、結城さんのグループ展(聖域)は私にとっても展示にとっても重要。

自分が「自由」&「わくわく」して現場にいれば、
その感情が伝わるはず。

緊張感が、一ヶ月もつか、は不安ですが。



わくわく2010 .jpg






http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-11-26

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個展専用ブログを開きました。 [ natural freedom 展 2010]




個展 natural freedom が始まりました。
それにともない、個展専用ブログを開きました!
しばらくは、そちら、ばっかりになります。

↓↓下記が個展専用ブログ↓↓

http://kaoruarima.blog.so-net.ne.jp/




↓↓個展情報 & 割引情報↓↓

http://www.zenshi.com/exhibitions/current.htm




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gigabelt [GigaBelt 2010〜]





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気になっていた「一言」を考えてみた [自分の作品考察]




今後の制作のために、気になっていた「一言」を考えてみた。

例えばこんな一言:
有馬さんの作品は有馬さんだから、批評に意味が無い。

以前は、ちょっと得意げに成ってたりしてたんですが、
それでいいのか!?って話。

実は、自分でさえも、批評?分析?できない。
なぜなら、私にとって良い絵とは、「真実」だ。
そして、「真実」は美しいと思い込んでる。

描いてる時の真実は「その時」しかない。
昨日とか、明日にはないし、比べられない。
ゆえに、嘘の無い、いや、嘘が有ったとしても、
それを受け入れた、真実を表現する事が重要。

技術が有るとすれば、自己の真実追求技術。
でもこれ、他者や過去の作品とも比較できない。
その時の真実は、その時にしか分からないから、
後から作品観ても、「この時は、こんな気持ち」ね、だ。

やっかいなのは、
真実だからって、良い作品とも限らない!
だって、その真実、自分にとってだし、他者に関係ないから。


それでも、現状報告の表現は避けてた。
例えば、「今、寂しい」とする。
寂しい絵を描くのではなく、
なぜ寂しいのか、どうすれば、乗り越えられるのか」を描いた。
ゆえに、他者にも薬として発動できた。


作品を観て、あ、この作品は嘘だ!とか、
あ、何か隠してる感じがする。とか、
そんな技術は上がった、と言えば上がった。

が、、。

良い「作品」を作るためには、自分の中にも比較対象(目標)が必要だ。

例えば、写真。

1000枚撮ったら、10枚は良いのが入ってる。

第一の壁:
問題は、それを選べる眼を持っているか。

第二の壁:
選んだ10枚の様な写真を意図的に撮れるか。
これができないと、永遠に運頼みだ。
そして、10/1000を10/100にして、
技術を上げていく。
そのためには、明確に目標を持っていなと難しい。
選びながら、発見して行くのもありだろう。


蛇足:
23歳時、選別を音楽でやったっら、ジョン・レノンと奥田民生が残った。
美術でやったら、リチャード・セラと歌川国芳が残った。


第三の壁:
お金が無くて、フィルムが買えなくても、シャッターを押せるか。
>今はデジタルだから関係ないかな。

私はコレができなかった。
気がついたら、紙に絵を描いてた。
実は、絵が描けなく成った時、写真をやろうと思って、
1年くらい取り組んだ事が有りました。
でもね、無理でした。
私はここまで。

この段階までに学んだことは、

・撮れちゃった写真(運)は駄目。
・撮らされた写真(カワイイモノ、ネタモノに多い)は駄目。
・言いたい事が分からない写真は駄目。
・、、、、、、、?

あれ、5つくらいあったんだけど、忘れた。
でも、これは初歩だね。

参考写真:http://arimaphoto.tumblr.com/

>話を戻す。

とはいえ、私にも、その手の技術が無いわけではない。
もっと真実を伝えられる線」の探求はしてきた。
問題は「その線」を判断できるのが「私」だけだ!ってこと。
よって、巧く成っても、分かるのは「私」だけだった。

さて、

ここでもう一つ、気になる一言:
有馬君の作品は、実物を見ないと「イラスト」だからね。


始めに言わなければ成らないのは、
イラストはイラスト、マンガはマンガ、アートはアート。
ジャンルとは、そういうもので、優劣は無い。

大人に成って仕事を始める事をジャンルと例えると、
アートは思春期の若者だ。
ゆえに、無責任で混沌、ある意味、自由。
アートがジャンルに成るのなら、それも通用できないけど。


まず、イラストでは駄目なの?って考えた。

駄目でしょう、そんな才能ありません、
ある意味、どれだけ時間かけても、
永遠にイラストに成らない絵」としてのアートなら、
ありだけど、寂しすぎる。
マンガでも同じ事が言える。

では、アートとして、何が足りない!?多い!?
どうして、新聞紙の作品はアートたりえたのか!?

で、前にブログに書いたけど、
リアリティの問題だと考えた。

簡単に言えば、新聞紙には、何も手を加えなくても、
リアリティが存在していた。

素材を変えた場合どうやって、リアリティを入れるのか。
それが問題になってくる。

それは、先の写真の話じゃないけど、
比較する事ができる技術と絡んでるのではないか!?

今まで制作していた作品は、自分のためだった、
たまたま、私の薬(作品)が同じ症状の人に、
たまたま効いただけだ。

なら、今度は私を含めた共通のルールの上で制作したらどうなる?。

で、絵画ベースを文人画から西洋ベースにすり寄ってみる。
切り替えではなく、すり寄る。

さて、どうなるんでしょうか。
乞うご期待。
自分でも楽しみ。

んんn、、、。

今回は長い。

そして、疲れた。

まあ、自分の都合のいい様に、言葉を運んでるだけなんだけど、
リアリティさえあれば、よし!って、あるかな。





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gigabelt [GigaBelt 2010〜]








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線の弾き方 [ドローイングについて]





線の弾き方
(変換で「弾き」が出て、何か良いから、そのまま)

私の知っている限り、
日本において、大きな画面で線表現が作品に成ってる人は、「すぅすぅ線」が巧い。
なんだそれ!?

書道の線の弾き方そのまま、なんだけど、
普通に習うと、「とん、すぅ、とん」ですよね。

でも書道は色んな線の弾き方がある。
書道は、そのまま、線表現の歴史。

>余談だけど、水戸に居た時、
近くに県図書があって、さすが書道の都!書道史のDVDが大量にある。
現代書道もあって、うれしくて飛び上がった!!

もう、絵画ですよ!
あ、悪い癖。
書道は書道、マンガはマンガ、アートはアート。

で、
当然の様に井上有一もあって最高!
たしかね、エナメルで書いてるんだよ。
紙はみ出してるよ!とか、破れてるんですけど!とかね。

>>蛇足:たまたま、
海外の美術館で「貧」ばっかりの展示を見る事ができたんだけど、
あれ、本当にデカイから。

あれ?なんだっけ?

そうそう、書道は線表現だと思ってて、
かなり、意識して、観てるんだけど、
「すぅすぅ線」の極めつけは、良寛。

良寛最高!

飛ばしすぎた。

「すぅすぅ線」は浮世絵(人物)がだいたいそうです。
衣類は「とん、すぅ、とん」が多いかな。
「すぅすぅ線」にすると、レリーフ問題に通じるけど、
全体に浮き上がっては消えて行く感じになる。

ま、エゴンシーレとか、ピカソの線とは、確実に違います。

でもね、マチスの線は「すぅすぅ線」多いんだよね。

だからかなぁ、、、、。



て、

終わってみよ。






9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報&作品割引情報!

        ↓↓↓↓↓↓
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21





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gigabelt [GigaBelt 2010〜]



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まず、 西洋の線は、「押さえつける」イメージ。 [ドローイングについて]




線が、細く、ひょろひょろで、重ね描きのわけ。

まず、
西洋の線は、「押さえつける」イメージ。
>こう見る!
東洋の線は、「受け入れる」イメージ。
>こう聞こえる。

彫刻の制作にも似ている。
西洋は、自立性。
東洋は、レリーフ的。

注)西洋、東洋のくくりは、私のイメージ。
  東洋って描いたけど、日本だけかも、とか。


私の場合、西洋の様な力強い線(意志)は表現できない。
何かから、浮き出てる感じにリアリティーを感じる。

そのため、線は細く、ぼやける。
これは、一般的な日本人の線ともいえる。

こう見る!=太い線に、なぜ違和感を覚えるのか、
私なりの解釈を、そこに入れる。

モノを観てる時、止まって見えるのは錯覚だ!。
人は鼓動や呼吸によって、揺れている。
モノと眼の間の大気も揺れている。

そこで、呼吸や風の揺れを表現の中に取り入れてみた。
すると、線は、モサモサになり、ひょろひょろに成る。
ぶれぶれの線。
吹けば飛ぶ様な線。

理想の線の一例:
髪の毛だと思って、手で払ったら、線っだった。

そして、現在の2010年。
絵画のベースを文人画でやって来たんだけど、
ただの下手」とか、「セカイ系」で縛られ、好みを強いる作風。で、
落ち着いた、先が見えない。

そこで、ゲージを西洋絵画ベースに寄せてみることにする。
たぶん、格付けが可能になるだろう、本当にヘタなら、それで良い。
しかし、認知されれば、以前の作品は「味」という価値が発生する。
そして、融合。

線表現を研究してる人は少ない。
線表現を楽しんでる人も少ない。

>線探求の強者がいたら、いたで、嫌なんだろうなぁ。
 こんな自分がウザイなぁ。

この絵の、この線が凄い!って言うのをブログに書いていこうかな。
ネタばれになるかな。

上記の件なんて、誰かに言った記憶ないしな。



参考:線についての考察

http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-04-15-5

参考:ドローイング作品は基本的に作家との距離が近い。

http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-04-30-1



9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報&作品割引情報!

        ↓↓↓↓↓↓
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21



とりあえず、今日はここまで。








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gigabelt [GigaBelt 2010〜]




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絵描きは、自分勝手だ。 [自分の作品考察]




いきなりだが、絵描きは、自分勝手だ。

たとえば、何かを観る。
描きたいモノしか描かない。
下手すると、それ以外見えていない。
そして、描きたい様にしか、描かない。

それが、すぐに出るのが写真だ。
よく言われる、絵描きの写真。

資料の様な、ネタの様な写真。
撮った本人は、撮りたいモノが写ってるから、自信満々で見せる。
でも、写真には、モノ」意外の細部まで写っている。
それを見た人は、何が撮りたかったのか分からない。

色々写ってるし、構図もなってない。
不思議な事に、本人には、それが見えない。
>本当に、見えないんだよね。

そんなわけで、分かってる人は、日の丸構図が多い。
そして、解放で撮影!背景をぼかす。

話を戻そう。

描きたいモノを、描きたい様にしか、描かない。
作品制作だけに、それを使用するなら良いが、
若い時は、当たり前の様に、そうやって生活する。
世の中を、見たい様にしか見ない。
そして、それを、信じていて、プライドもある。

たちが悪い。
やっかいだ。

ギャラリーやってた時、女子に、20代の絵描きだけは、やめとけ!って
よく言ってった。デザインやってる人の方が良いよって。

デザインは相手の事を考えないと、仕事にならないからね。

絵描きは、もう、自分自分だから。
学生のうちは、それが、輝いて見えるんだろうけど。

逆に言えば、絵描きの20代は試練です!

30歳超えだすと、色々答えが見えだすし、
自分だけに使ってた、お金や時間を、誰かのためにって思える様に成る。

おしまい、、、

>今、思ったんだけど、
おしまい」って「尾を、しまう」って事かな。

ググッた。

御仕舞い」だった。






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gigabelt [GigaBelt 2010〜]






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自分の治療のために薬(作品)を作ってきたけど [自分の作品考察]





私の場合の自己治療作品。

まず、始めにした事は、嘘をつかない事。
知らない事を知らないと言い、
カッコウをつけない。

これをすれば、人としゃべっていても、
勝ちはしないけど、負けも無い。

作品にもそれが出てくる。
当時はタブーのマンガの影響なども話す。
だいたいが、無視。

アートじゃない!」と言われる。
エログロ!アウトサイダー!
ただ、だからこそ、アートについて勉強もした。
小さな図書館で本読んだだけだけど。

そんなこんなで、
キワマリ荘を開設し個展を開く。
その頃から、

感動しました。」と、言う人が増えだし、
泣く人もいた。
>変わった人では、オナニーする人もいた。

その時思ったのは、

そうか、自分の治療のために薬(作品)を作ってきたけど、
私と同じ病気の人には、効くんだ!ってこと。

その人数はけして、多くは無い。
でも、必要とされている。

その時の幸福感は今も忘れない。

しかし、腕が良かったのか、特効薬の精度が上がっていく。
と、どうなるか、

効く人には効くけど、効かない人にはまったく効かない。
ピンポイントの精度が上がりすぎてゆく。

最終的には、結局、自分にしか効かなく成った、かな。

物事は全てエンだと思っている。
天才が馬鹿に見える様に、
個を突き詰めれば他に繋がる、と思っている。
逆もあるだろう。

しかし、まあ、絵が描けなく成ったので、
絵を描くの、止めようかな、と思ったのも事実だけど。

なぜかって、言えば、
絵を描き続けるために、不幸の連鎖に戻る人を何人も観て来たから。

幸せに成るために絵を描いて来たのに、
幸せなると、絵がかけない、、、、と悩む。
本末転倒だ。

そんな事を何年も悩んでやっと、「仕事として絵を描く」イメージがわく。

それまでは、作品売りたく無かった。
売るぐらいなら、あげる方がよかった。
>実際、水戸に引っ越す時1/3を譲った。
そんなんだったから、入場料をとって展覧会をしてた。

名古屋の企画ギャラリーに、1年くらい入っていたが、
その原因が元で抜けた。
あれも、これも、売りたく無い!
いい加減にしろっ!て話だよ。まったくだ。

じゃあ、どうやって食べてたの?って話だけど、
レンタルスペースで年収100万稼いでました。
あと、個展の入場料が15万くらい。
貯金は30万くらいは、常にあった。

何、自慢?恥ずかしく無いの?って思うだろうな?普通。
でも、週に3日しか働いてなくて、あと自由って楽しかったな。
まったく不自由がなかったし。
近くにいつも図書館あったしね。

>意外にまねできないみたいだけどね。
 毎日、朝起きると、「今日は何しよう!10年」だからね。

欲しいモノも無かったし、月8万で暮らしてて、
500円貯金3年で15万くらいたまって、それで、
パソコン買ったりとか、人はキワマリ荘に毎週来てくれてたし、

あ、そうそう、重要な事思い出した。

スペースのオーナーを演じていたら、
それが、定着?自分になっていく?んだよね。
まな板の上の鯉。

せっかく、遠い所から来てもらったんだからって、
接客するでしょ、しゃべるでしょ。

対人恐怖症直ったよ。

生きていくためには、何でもするんだね、体は。

私の基本方針:
楽して暮らすためなら、どんな努力もする!っていう矛盾行動!

で、
で、
で、

去年!、よし売るぞ!ってなって、やってみたら、
年収70万で貯金2万って、死んじゃうよ!

完全に切り替え失敗したよ!

9月にする個展、眼の色違ってても許してください。

個展情報→ http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21

あ!、何の話してたか、また忘れた。

そして、疲れt。







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gigabelt [GigaBelt 2010〜]






arima kaoru-b-20100601.jpg








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展示とはなんだろう。 [ natural freedom 展 2010]




展示とはなんだろう。
ギャラリーでの展示の場合、
すぐ思いつくのは、二つのベクトル。

美術館関係者に向かうベクトル、
コレクターに向かうベクトル。

前回、私はそのどちらも失敗した。
と、いうより、今まで成功した事が無い。

そして、前回の失敗により、決断。
展示するのや〜めた。

どうも、私は展示が下手だ。
今までも、散々言われて来た。
後は、展示の仕方だ。と。

実際そうなんだけど、
コレだけやっても、無理なものは無理!

だってさ、10年くらい前に言われたんだけど、

「展示する事考えて作ってないでしょ!」って、

コレ言われた時は、納得せざるをえなかった。
そして、その姿勢は今も変わらない。
いや、変えられなかった。

だいたい、壁が嫌い。
壁に何か飾るのが嫌い。
と、ダダをこねる。

じゃあ、どうすんの?って話。

最近、刑事ドラマを借りて大量に観た。
相棒、ハンチョウ、クリミナルマインド3、BOSS。
なぜ面白いんだろう!?

それは、事件が起きる、そして、真実は一つだから。

鑑賞者と作品と作者=事件」と考える。

答えは簡単だ。
私の場合は「キワマリ荘」。

その名前で、貸し画廊で4回個展。
その後、大家さんの許可を得て、住んでるアパートを「キワマリ荘」に改名、、、。

さらに昔を思い出す。
こんな企画展をした。

1994年、ウンプテンプテン 143(カノーヴァン/名古屋) 。
タイトルは「笋(たけのこ)のウンプテンプの出所哉」(小林一茶)から取った。

内容は、画廊で展示がしたいけど、お金が、、って人がいたから、じゃあ、
140人集めれば、一人500円で画廊が借りれる。よって、始めた。
最終的には150人超え、小学生から、80代のおじいちゃんまでの展示になった。
純粋なお客はいたんだろうか。
まあ、どうなるか分からなかったから、
ウンプテンプ(運否天賦:運を天にまかせる事)したんだけど。
変わってないなぁ、と思う。

それとは逆に、アートドラキュラ展では、
部屋のカギとライトを渡して、一人で鑑賞する。ってこともした。

共通してるのは、常に私が居た、という事だ。
そして、「場所」が重要だな。

鑑賞者と作品と作者+場所=事件。


つづく、、、、、、いきなり!?

だって、考えるの疲れた。

なんだこれ。




9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報&作品割引情報!

        ↓↓↓↓↓↓
http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21



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過去は記憶、宇宙は「いま」しかない。 [ natural freedom 展 2010]





過去が存在するから、未来が生まれる、
過去と未来があるなら「今」は点になる、
今」が無くなれば、過去に縛られ未来が消える。
過去は記憶、宇宙は「いま」しかない。



みること、きくこと、かんじること、遠近法を使わないで、あること。



縛り(〜でなければならない。)によって発生するモノは、個性ではなく役割。
個性は、もっと自由で、自然。



私たちは、自然の世界ではなく、自由と不自由の世界にいる。
その世界を鳥瞰図的にとらえる事。
本来の自然は分かれてないし、よく知らない。

自由も不自由も自然にある」感じ。
未開の自然とは違う、人間の作った「新しい自然」。


natural freedom





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個性ではなく役割。 [ natural freedom 展 2010]




父と母は役割なのに、個性に翻弄する両親。

本気の甘えも、本気の自律(自立)も許されず、
自由と言う名で、ほったらかしの子供。

不自由は自由の海にある浮き輪。





縛り(〜でなければならない。)によって発生するモノは、個性ではなく役割。
個性は、もっと自由で、自然。





9月からのZENSHIの個展"natural freedom "情報

http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21




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九月のゼンシでの展覧会 "natural freedom " について [ natural freedom 展 2010]

+

九月の個展情報!!





場所:ZENSHI http://zenshi.com

日時:9月3日〜10月9日

時間:12:00〜19:00

開場日:木〜土曜日

    作家は毎日います。

    注意)上の理由でいつもと違い水曜日も休み。

*オープニングは無し。


タイトル:natural freedom

このタイトルは、しばらく続くと思います。


今回のテーマ:Work - concept - museum = toilet or,


新しい事をする」ってよりは、初心に返る感じ。
キワマリ荘始めた頃の純粋な欲望。




作品購入のお得情報:最大3割引!


1):作家のツイッターフォロー:1割引

2):30歳以下:1割引

3):展覧会期間中の現金払い:1割引

4):1)2)3)の合わせ技2割引までOK!

5):同時に3点以上購入:三点目より1割引

6)割引対象作品は、有馬かおるの2010年からの作品、Gigabeltシリーズと、ZENSHIでの前個展作品。
  ・ブログ(http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/ )から GigaBelt 2010〜 をクリックして、ご確認ください。
  ・ZENSHIのホームページ(http://zenshi.com/artists/arima/works_lotus01.htm)の作品画像で、ご確認ください。

7)購入希望の方は取り扱い画廊ZENSHI(E@zenshi.com)に問い合わせください。




2010/09/03現在



作品の値段について、

ブログのマイカテゴリー「Gigabelt2010〜」を、観ているとして、


・たくさん穴の開いた紙(B5)は3万円

・穴二つの格子の紙(A4)は4万円

・色付きの画用紙(B4)は5万円

・黄色っぽい紙(42x29.5cm)は8万円

な、感じです。

なので、ほぼ3〜5万円です。

スキャナーが、A4までなので、B4色付きは、
ふにゃってるし、黄色っぽい紙の作品は中心部分だけです。
興味のある方は、会場に足を運んでみてください。


http://www.zenshi.com/




http://arimakaoru.blogspot.com/




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不自由は自由の海にある浮き輪。 [ natural freedom 展 2010]




不自由は自由の海にある浮き輪。

私たちは、自然の世界ではなく、
自由と不自由の世界にいる。

自然は矛盾で生きにくいから。

しかし、

自由と不自由があるから、自我が生まれ、区別が生まれ、差別に発展する。
別の言い方をすれば、「同じ」と「違い」でもいい。

矛盾が、矛盾にならない様に整備された世界。
整備する力があれば、幸せな世界。

本当に?

ではなぜ、自然を目指す。
それは、自由と不自由を鳥瞰図の様に受け入れたいからだ。
もう一つ上部の世界。

今ある悩みは無くなるが、
別の悩みが生まれるかもな。

だが、今を受け入れるには、
駒が足りない、視点が足りない。

そうそう、
アーティストにしか、見えない世界、
住めない世界が、あると思っていて、
だから、アーティストに成りたい!と、思ったんだ。

1999年、ワタリウムで、
何人かのアーティストと話した時、
ここに居るのに、居ない感じ、
私の過去や未来に、話してる感じ。

あの時確かに感じた、アーティストの存在と場所。



natural freedom。



次の展覧会(9月)からのタイトルでもある。






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アウトサイダーとそうじゃない人の違いは、 自分の意志で、作品発表する事」。 [自分の作品考察]





作品を見る時、
作家性で観るのか、作品性で観るのか、で変わるし、

作家本人の「美を作り出す意識」と、
アウトサイダーの鑑賞者による「美」の発見は違う。

アウトサイダーとそうじゃない人の違いは、
「自分の意志で、作品発表する事」。






人間の可能性を切り開いた人」をアーティストと呼んでいる。

その中の、美術部門なのだから、「美」はいるでしょ。
って話なら、今の作品「美」ある?って話に成らないのかな?

それは、作家性が美なのかな。

デュシャンの呪縛にすぎないのかな。





イラストレーションも浮世絵の逆輸入の進化版と考えると、ありなのか。

んんんんんん、

まてまて、

自分の正当性を言うために、他者を否定しない事。
か。

自分が正しいと思いたいのは、
何かに怯えてるのかな。




むむむ、、、む。





  「マチスは最後に光と祈りを求めた。」



+


と、思いたい、のか、な。




いったい、どれだけの、理屈に縛られてるんだろう。
というか、何のために、こんな事考えてるんだろう。

んn、、、、、、、。


、、、、客観性、、、、、。


他人の作品だと、良い、悪い、何かひっかっかる、を瞬間で分けれる。
自分の作品を、どれだけ客観視できるか、それだけが重要だ。
でないと、がんばった」とか、時間とか、お金かけた」とかに引っ張られる。
良い所を無理矢理増幅させたり。

でも、それって、結局、どういう事、なんだろう?

客観性な。

作品を鏡、って落とすのは、良く無いな。


つづく、







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有馬かおる

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