流れ、繋がり。 [自分の作品考察]




日本人は、作品一つで、西洋に勝てるんだろうか。
右手に神、左手に言葉。

なんとかナーレとかで、個展形式で競わなくてもいいんじゃないだろうか。
個展でも、今の作品ではなくて、今までの作品の流れを、
その人の生き方を「美」として発表できないんだろうか。
まあ、その結果、年寄りが多く成るけど。

ダメなのかなぁ流れで勝負するのは、
繋がり(グループ展)で、勝負するのは。

文章、マンガとか、皆の大好きな、坂本龍馬とか。

一つの作品を自立させていく方法で、勝てるのかなあ。
映画のセットとか、小道具止まりに、なってしまわないかな。

まあ、そこで、勝負しようとしても、
相手に理解されない可能性が大きいから、意味ないか。

希に突然変異とか、その場所から追い出された人が覚醒するけど。
それに、続けと言われてもなぁ。

って言っていてもしょうがない。

作品で食べて行こうと思ったら、向こうで成功するしかない。
コレクターの数が違う。

日本で食うなら、教育機関か助成金。

今の日本人が、今のまま、世界に行ける日が来るといいけど。
無理だろうなぁ。質が違う。

なんだかんだ言って、美術手帳は今も学生のバイブルだから、
4年で、学生のリセットは可能だ。

世界で活躍しようと思ったら、
立体から絵画までこなして、一般人を黙らせる工芸技術が必要だ。と、
勝手に思っている。
なかなかいないよ、一人でやろうとするから。

じゃあ、お前は、どうなんだ!って話だけど。

月給が出る仕事についたら、世界に!とは思わなく成るだろうな。
作品で食う!って考えはなくなるから。

趣味性が強いのかな。
作品性より作家性に興味をそそられる。
私だけでは無い気がする。
ん〜

生きてる世界が小さいんだろうな。
向上心もあまりない。

たぶん、自分個人の欲望だけでは、、、、。
向上心がある人って結果として、後輩に道作ってるから、
そう言うの背負った方が、行きやすいのかもな。

誰の幸せを望むか」って話なのかな。

日本にいて、
アカデミー賞、グラミー賞取りたい、とか、
メジャーリーグに入るとか、10年前まで考えもしなかったろうし、
憧れてはいたのかな。
それが世界って言うのも、問題が無いわけではない。が、

その前は、日本が世界だったし、その前は、県が世界だった。
将来的に観れば、地球に引きこもる事になるんだけど。

それに、
私が憧れてる作品、写楽とか、国芳だからな。
リチャードセラ好きだけど、完全に無いものねだりだし、

最近、マチスが好きに成って来たから、少し変わったのかな。

かなり前に

ロビン・ウィリアムズの「いまを生きる」を観た時、
全く感動してないのに、泣いてる自分。
凄いな、仕組みで泣いている」と思った。

しかし、今はロビン・ウィリアムズの演技で泣かせれた、とおもっている。
本気の感情表現は伝わる。
スポーツ中継で、選手のうれし泣き、悔し泣きが、伝わってくる。
もらい泣きをする。
共感。
演技とは、技術でその状態にもっていく。

人に感動を与えたいなら、

本人が感動して無意識で表現する。
技術で感動を意識的に表現する。

私には、圧倒的に技術が足りない。

そういう世界で生きて行くなら、
一から、勉強し直しだ。
デッサンからかな。

ま、結局、
自分の時間は限られている。
誰の幸せを願おうが、
全ては覚悟の問題だ。

と、自分の話で終わらせる。
よくない。

世界な。

間、流れ、関係=縁」を練って行くしかない。
あ、そういうことか。


みるひとのみたいものに
みることでひとつに

じぶんのいばしょ
そこでしたいこと




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有馬かおる

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