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本末転倒日本美術 [日本のアート考察]


   

             本末転倒日本美術

1)日常を極めてゆけば「美」に成ってゆく考えがある。が、

日常はアートである」に成った。

2)美術館に作品が入ると機能を剥がされて「美」だけになる。(例:仏像)が、

美術館の中にあれば美が付いてくる」に成った。

1)2)の結果
アートは何でもありになり、作品に美は必要無くなった。

3)逆に美術館に入るためには「美」だけで良いという考え方も生まれた。それゆえ、

美」は「美とは」になり、学問に成った。

故に、展示技術のキレイ」が重要に成った。

1)2)3)の結果

アートはアーティストのためのアートになり、
作品は社会に必要無いものに成った。そして、

キレイ」はグラフィックになり、アートとデザインに分かれた。






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日本の「美しさ」は物語にある。 [日本のアート考察]




視覚文学論

日本の「美しさ」は物語にある。
言霊の作る物語。
ならば誰が描こうが、何枚描こうが「美しさ」は劣化しない。

俳画大津絵の理論。

見せたいモノは絵じゃなくて、その向こう。

明治。日本画誕生。里子の浮世絵と文人画。

それから。


 「視覚文学論」展によせて:2006/03/03






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終わらない相手亡き反抗期(2) [日本のアート考察]

:キモイ!:終わらない相手亡き反抗期(2):

日本にはサブカルしかないよ。」と、
同感。
だけど、その時のメインって何?
メインが無いのにサブって」とも思う。
(みんな、仮面アウトサイダーだったりして。)
敗戦から生まれたヒーローは子供で、その(子供の)まま大人に成った。
その結果、社会に父親は居なくる。
その大人(子供)は個性と自由に翻弄する。

アート(日本の)にはまだ西洋美術という父親がいる(と思っている)。
父親を存続させるために、サブを押し続けるしかない。
永遠にメインにならないサブを突き詰める。
永遠に自然に近づこうとしてるアートのように。
逃げ道としてのコンセプチュアル。

壁をつくり、どこまで行けるか。
壁を触ってはいけない、そういうルール。


終わらない相手亡き反抗期 [日本のアート考察]

:キモイ!:終わらない相手亡き反抗期:

本気の甘えも、本気の自律(自立)も、許されず、
自由と言う名で、ほったらかし。
個性なんて怒りの壁なのに、逆ギレの個性。

父と母は役割なのに、個性に翻弄する両親。
自由を管理する力が個性なのに。

刀を持つ美少女のツンデレは親に対する自律(自立)と甘え。
逆ギレからツンデレの個性。

失って気づく「やせ我慢」と「恥じらい」の物語。
今はまだ、面影あるから、罪悪感の個性。

始めから物語が無かった時代に生まれた。
自律(自立)する必要の無い世界が始まる。のか、

個性を与えよう。
役割を与えよう。

50代の人たちは、西洋ありきでなければ、作品を作れなかった。
40代の人たちは、西洋なんて関係ない!って作品しか作れなかった。
30代の人たちは、何も無い!って作品しか作れなかった。

ここまでは結局、過去に縛られてる。
今も無ければ、未来も無い。
ここからです、。
何も無い分けないんだから。


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有馬かおる

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