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線の弾き方 [ドローイングについて]





線の弾き方
(変換で「弾き」が出て、何か良いから、そのまま)

私の知っている限り、
日本において、大きな画面で線表現が作品に成ってる人は、「すぅすぅ線」が巧い。
なんだそれ!?

書道の線の弾き方そのまま、なんだけど、
普通に習うと、「とん、すぅ、とん」ですよね。

でも書道は色んな線の弾き方がある。
書道は、そのまま、線表現の歴史。

>余談だけど、水戸に居た時、
近くに県図書があって、さすが書道の都!書道史のDVDが大量にある。
現代書道もあって、うれしくて飛び上がった!!

もう、絵画ですよ!
あ、悪い癖。
書道は書道、マンガはマンガ、アートはアート。

で、
当然の様に井上有一もあって最高!
たしかね、エナメルで書いてるんだよ。
紙はみ出してるよ!とか、破れてるんですけど!とかね。

>>蛇足:たまたま、
海外の美術館で「貧」ばっかりの展示を見る事ができたんだけど、
あれ、本当にデカイから。

あれ?なんだっけ?

そうそう、書道は線表現だと思ってて、
かなり、意識して、観てるんだけど、
「すぅすぅ線」の極めつけは、良寛。

良寛最高!

飛ばしすぎた。

「すぅすぅ線」は浮世絵(人物)がだいたいそうです。
衣類は「とん、すぅ、とん」が多いかな。
「すぅすぅ線」にすると、レリーフ問題に通じるけど、
全体に浮き上がっては消えて行く感じになる。

ま、エゴンシーレとか、ピカソの線とは、確実に違います。

でもね、マチスの線は「すぅすぅ線」多いんだよね。

だからかなぁ、、、、。



て、

終わってみよ。






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まず、 西洋の線は、「押さえつける」イメージ。 [ドローイングについて]




線が、細く、ひょろひょろで、重ね描きのわけ。

まず、
西洋の線は、「押さえつける」イメージ。
>こう見る!
東洋の線は、「受け入れる」イメージ。
>こう聞こえる。

彫刻の制作にも似ている。
西洋は、自立性。
東洋は、レリーフ的。

注)西洋、東洋のくくりは、私のイメージ。
  東洋って描いたけど、日本だけかも、とか。


私の場合、西洋の様な力強い線(意志)は表現できない。
何かから、浮き出てる感じにリアリティーを感じる。

そのため、線は細く、ぼやける。
これは、一般的な日本人の線ともいえる。

こう見る!=太い線に、なぜ違和感を覚えるのか、
私なりの解釈を、そこに入れる。

モノを観てる時、止まって見えるのは錯覚だ!。
人は鼓動や呼吸によって、揺れている。
モノと眼の間の大気も揺れている。

そこで、呼吸や風の揺れを表現の中に取り入れてみた。
すると、線は、モサモサになり、ひょろひょろに成る。
ぶれぶれの線。
吹けば飛ぶ様な線。

理想の線の一例:
髪の毛だと思って、手で払ったら、線っだった。

そして、現在の2010年。
絵画のベースを文人画でやって来たんだけど、
ただの下手」とか、「セカイ系」で縛られ、好みを強いる作風。で、
落ち着いた、先が見えない。

そこで、ゲージを西洋絵画ベースに寄せてみることにする。
たぶん、格付けが可能になるだろう、本当にヘタなら、それで良い。
しかし、認知されれば、以前の作品は「味」という価値が発生する。
そして、融合。

線表現を研究してる人は少ない。
線表現を楽しんでる人も少ない。

>線探求の強者がいたら、いたで、嫌なんだろうなぁ。
 こんな自分がウザイなぁ。

この絵の、この線が凄い!って言うのをブログに書いていこうかな。
ネタばれになるかな。

上記の件なんて、誰かに言った記憶ないしな。



参考:線についての考察

http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-04-15-5

参考:ドローイング作品は基本的に作家との距離が近い。

http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-04-30-1



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とりあえず、今日はここまで。








タグ: セカイ系

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基本的に作家との距離が近い。 [ドローイングについて]

ドローイング作品について:

ドローイング作品は基本的に作家との距離が近い。

まず一つ、
思ったことが反射的にペンや筆を走らせる。
説明的な線や、作業は、ほぼ無い。
自分のその時の感情が、もろに出る。
ゆえに、作品を批判されると、
ダイレクトに自分を批判されてるように感じる作家が多い。
逆に言えば、傷つきやすい人がドローイングを描くともいえる。
さて、なぜでしょう?

二つめは、
鑑賞する時に必要なのは、
作家が、作品を作った距離で観るのが望ましい。
ここで問題になってくるのは、
ドローイングの場合、一般的に作品が小さい。
よって、作家と作品の距離が近すぎる。
大きな作品のように、離れながら描くことはしない。
と、なると鑑賞者は、作品と作家の間(手の長さ)に入るしか無い。
これは、勇気がいる。
そういうわけで、
一般的にドローイングは「好き、嫌い」の様な、
好みで判断する場合が多い。

ただし、
これは、私のように、線に感情を込めるタイプに限定されるかもしれない。



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有馬かおる

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