自分の作品考察 ブログトップ

1983年(14歳)の絵〜 [自分の作品考察]




下記のアドレスで、
1983年(14歳)から1990年くらいまでの、
絵とかマンガを載せていきます。


http://arima1984.blogspot.com/


もしくは、左の「 1983 ~ 1990 」をクリック。




こんなの見つけた。
懐かしい。
そして、恥ずかしい。

http://channel.walkerart.org/play/artist-interview-kaoru-arima/

wac01arima.jpg




共通テーマ:アート

突き抜け [自分の作品考察]



DSが壊れた。
もう少しで、無罪っだったのに。
本格的に、絵を描く事以外何もする事が無い。

なので、前の個展で出品して、売れなかった不良在庫を改良した。
主に、6、7月に制作したB4サイズのモノ。

ほぼ別物。
良く成ったと思う。
というか、作品に成ったと思う。

その過程で、何枚か回収不可能に成ったけど。

http://arimaworks2011.blogspot.com/search/label/Before-After

その前に、途中の作品なんて、発表するな!って話だけど、
そんなの、本人に解る分けない。

解ってたら、その時に直してるし、
作品なんて、ほぼ、途中だ。

でさ、完成したら、
次どうするの?って言ってくるんだよね。

まあ、いいけど。



色々言われた事を、思い出して、制作してたんだけど、

今まで、人に批判された事って直した事が無い!って事を思い出した。
伝えたい事は、伝わっている。
それが、ネガティブに伝わってるだけだ。

好きとか嫌いとか。
そんな事、関係ないくらいに、突き抜けてないから、
傷口みたいに、触られると、ヒリヒリする。

突き抜け方が足りないだけだ。
突き抜けちゃえば、誰も何も言わなく成る。
表現者だから、
それだけで、終わったらダメなんだけど。

新しい美意識。

ダメだって言われても、やりたい事は、
突き抜けないといけない。

そう言う意味で、
他者の感想は大切だ。
とくに長い付き合いの人の批評。
自分が何に「イラッ」とするか、解る。
そこがキモだ。
取り入れる事ができる事は、全部取り入れる。
でも、いくつか、
何故か、止めたく無い事もある。

それは、
突き抜けるしかない。






共通テーマ:アート

流れ、繋がり。 [自分の作品考察]




日本人は、作品一つで、西洋に勝てるんだろうか。
右手に神、左手に言葉。

なんとかナーレとかで、個展形式で競わなくてもいいんじゃないだろうか。
個展でも、今の作品ではなくて、今までの作品の流れを、
その人の生き方を「美」として発表できないんだろうか。
まあ、その結果、年寄りが多く成るけど。

ダメなのかなぁ流れで勝負するのは、
繋がり(グループ展)で、勝負するのは。

文章、マンガとか、皆の大好きな、坂本龍馬とか。

一つの作品を自立させていく方法で、勝てるのかなあ。
映画のセットとか、小道具止まりに、なってしまわないかな。

まあ、そこで、勝負しようとしても、
相手に理解されない可能性が大きいから、意味ないか。

希に突然変異とか、その場所から追い出された人が覚醒するけど。
それに、続けと言われてもなぁ。

って言っていてもしょうがない。

作品で食べて行こうと思ったら、向こうで成功するしかない。
コレクターの数が違う。

日本で食うなら、教育機関か助成金。

今の日本人が、今のまま、世界に行ける日が来るといいけど。
無理だろうなぁ。質が違う。

なんだかんだ言って、美術手帳は今も学生のバイブルだから、
4年で、学生のリセットは可能だ。

世界で活躍しようと思ったら、
立体から絵画までこなして、一般人を黙らせる工芸技術が必要だ。と、
勝手に思っている。
なかなかいないよ、一人でやろうとするから。

じゃあ、お前は、どうなんだ!って話だけど。

月給が出る仕事についたら、世界に!とは思わなく成るだろうな。
作品で食う!って考えはなくなるから。

趣味性が強いのかな。
作品性より作家性に興味をそそられる。
私だけでは無い気がする。
ん〜

生きてる世界が小さいんだろうな。
向上心もあまりない。

たぶん、自分個人の欲望だけでは、、、、。
向上心がある人って結果として、後輩に道作ってるから、
そう言うの背負った方が、行きやすいのかもな。

誰の幸せを望むか」って話なのかな。

日本にいて、
アカデミー賞、グラミー賞取りたい、とか、
メジャーリーグに入るとか、10年前まで考えもしなかったろうし、
憧れてはいたのかな。
それが世界って言うのも、問題が無いわけではない。が、

その前は、日本が世界だったし、その前は、県が世界だった。
将来的に観れば、地球に引きこもる事になるんだけど。

それに、
私が憧れてる作品、写楽とか、国芳だからな。
リチャードセラ好きだけど、完全に無いものねだりだし、

最近、マチスが好きに成って来たから、少し変わったのかな。

かなり前に

ロビン・ウィリアムズの「いまを生きる」を観た時、
全く感動してないのに、泣いてる自分。
凄いな、仕組みで泣いている」と思った。

しかし、今はロビン・ウィリアムズの演技で泣かせれた、とおもっている。
本気の感情表現は伝わる。
スポーツ中継で、選手のうれし泣き、悔し泣きが、伝わってくる。
もらい泣きをする。
共感。
演技とは、技術でその状態にもっていく。

人に感動を与えたいなら、

本人が感動して無意識で表現する。
技術で感動を意識的に表現する。

私には、圧倒的に技術が足りない。

そういう世界で生きて行くなら、
一から、勉強し直しだ。
デッサンからかな。

ま、結局、
自分の時間は限られている。
誰の幸せを願おうが、
全ては覚悟の問題だ。

と、自分の話で終わらせる。
よくない。

世界な。

間、流れ、関係=縁」を練って行くしかない。
あ、そういうことか。


みるひとのみたいものに
みることでひとつに

じぶんのいばしょ
そこでしたいこと




共通テーマ:趣味・カルチャー

気になっていた「一言」を考えてみた [自分の作品考察]




今後の制作のために、気になっていた「一言」を考えてみた。

例えばこんな一言:
有馬さんの作品は有馬さんだから、批評に意味が無い。

以前は、ちょっと得意げに成ってたりしてたんですが、
それでいいのか!?って話。

実は、自分でさえも、批評?分析?できない。
なぜなら、私にとって良い絵とは、「真実」だ。
そして、「真実」は美しいと思い込んでる。

描いてる時の真実は「その時」しかない。
昨日とか、明日にはないし、比べられない。
ゆえに、嘘の無い、いや、嘘が有ったとしても、
それを受け入れた、真実を表現する事が重要。

技術が有るとすれば、自己の真実追求技術。
でもこれ、他者や過去の作品とも比較できない。
その時の真実は、その時にしか分からないから、
後から作品観ても、「この時は、こんな気持ち」ね、だ。

やっかいなのは、
真実だからって、良い作品とも限らない!
だって、その真実、自分にとってだし、他者に関係ないから。


それでも、現状報告の表現は避けてた。
例えば、「今、寂しい」とする。
寂しい絵を描くのではなく、
なぜ寂しいのか、どうすれば、乗り越えられるのか」を描いた。
ゆえに、他者にも薬として発動できた。


作品を観て、あ、この作品は嘘だ!とか、
あ、何か隠してる感じがする。とか、
そんな技術は上がった、と言えば上がった。

が、、。

良い「作品」を作るためには、自分の中にも比較対象(目標)が必要だ。

例えば、写真。

1000枚撮ったら、10枚は良いのが入ってる。

第一の壁:
問題は、それを選べる眼を持っているか。

第二の壁:
選んだ10枚の様な写真を意図的に撮れるか。
これができないと、永遠に運頼みだ。
そして、10/1000を10/100にして、
技術を上げていく。
そのためには、明確に目標を持っていなと難しい。
選びながら、発見して行くのもありだろう。


蛇足:
23歳時、選別を音楽でやったっら、ジョン・レノンと奥田民生が残った。
美術でやったら、リチャード・セラと歌川国芳が残った。


第三の壁:
お金が無くて、フィルムが買えなくても、シャッターを押せるか。
>今はデジタルだから関係ないかな。

私はコレができなかった。
気がついたら、紙に絵を描いてた。
実は、絵が描けなく成った時、写真をやろうと思って、
1年くらい取り組んだ事が有りました。
でもね、無理でした。
私はここまで。

この段階までに学んだことは、

・撮れちゃった写真(運)は駄目。
・撮らされた写真(カワイイモノ、ネタモノに多い)は駄目。
・言いたい事が分からない写真は駄目。
・、、、、、、、?

あれ、5つくらいあったんだけど、忘れた。
でも、これは初歩だね。

参考写真:http://arimaphoto.tumblr.com/

>話を戻す。

とはいえ、私にも、その手の技術が無いわけではない。
もっと真実を伝えられる線」の探求はしてきた。
問題は「その線」を判断できるのが「私」だけだ!ってこと。
よって、巧く成っても、分かるのは「私」だけだった。

さて、

ここでもう一つ、気になる一言:
有馬君の作品は、実物を見ないと「イラスト」だからね。


始めに言わなければ成らないのは、
イラストはイラスト、マンガはマンガ、アートはアート。
ジャンルとは、そういうもので、優劣は無い。

大人に成って仕事を始める事をジャンルと例えると、
アートは思春期の若者だ。
ゆえに、無責任で混沌、ある意味、自由。
アートがジャンルに成るのなら、それも通用できないけど。


まず、イラストでは駄目なの?って考えた。

駄目でしょう、そんな才能ありません、
ある意味、どれだけ時間かけても、
永遠にイラストに成らない絵」としてのアートなら、
ありだけど、寂しすぎる。
マンガでも同じ事が言える。

では、アートとして、何が足りない!?多い!?
どうして、新聞紙の作品はアートたりえたのか!?

で、前にブログに書いたけど、
リアリティの問題だと考えた。

簡単に言えば、新聞紙には、何も手を加えなくても、
リアリティが存在していた。

素材を変えた場合どうやって、リアリティを入れるのか。
それが問題になってくる。

それは、先の写真の話じゃないけど、
比較する事ができる技術と絡んでるのではないか!?

今まで制作していた作品は、自分のためだった、
たまたま、私の薬(作品)が同じ症状の人に、
たまたま効いただけだ。

なら、今度は私を含めた共通のルールの上で制作したらどうなる?。

で、絵画ベースを文人画から西洋ベースにすり寄ってみる。
切り替えではなく、すり寄る。

さて、どうなるんでしょうか。
乞うご期待。
自分でも楽しみ。

んんn、、、。

今回は長い。

そして、疲れた。

まあ、自分の都合のいい様に、言葉を運んでるだけなんだけど、
リアリティさえあれば、よし!って、あるかな。





共通テーマ:趣味・カルチャー

絵描きは、自分勝手だ。 [自分の作品考察]




いきなりだが、絵描きは、自分勝手だ。

たとえば、何かを観る。
描きたいモノしか描かない。
下手すると、それ以外見えていない。
そして、描きたい様にしか、描かない。

それが、すぐに出るのが写真だ。
よく言われる、絵描きの写真。

資料の様な、ネタの様な写真。
撮った本人は、撮りたいモノが写ってるから、自信満々で見せる。
でも、写真には、モノ」意外の細部まで写っている。
それを見た人は、何が撮りたかったのか分からない。

色々写ってるし、構図もなってない。
不思議な事に、本人には、それが見えない。
>本当に、見えないんだよね。

そんなわけで、分かってる人は、日の丸構図が多い。
そして、解放で撮影!背景をぼかす。

話を戻そう。

描きたいモノを、描きたい様にしか、描かない。
作品制作だけに、それを使用するなら良いが、
若い時は、当たり前の様に、そうやって生活する。
世の中を、見たい様にしか見ない。
そして、それを、信じていて、プライドもある。

たちが悪い。
やっかいだ。

ギャラリーやってた時、女子に、20代の絵描きだけは、やめとけ!って
よく言ってった。デザインやってる人の方が良いよって。

デザインは相手の事を考えないと、仕事にならないからね。

絵描きは、もう、自分自分だから。
学生のうちは、それが、輝いて見えるんだろうけど。

逆に言えば、絵描きの20代は試練です!

30歳超えだすと、色々答えが見えだすし、
自分だけに使ってた、お金や時間を、誰かのためにって思える様に成る。

おしまい、、、

>今、思ったんだけど、
おしまい」って「尾を、しまう」って事かな。

ググッた。

御仕舞い」だった。






共通テーマ:趣味・カルチャー

自分の治療のために薬(作品)を作ってきたけど [自分の作品考察]





私の場合の自己治療作品。

まず、始めにした事は、嘘をつかない事。
知らない事を知らないと言い、
カッコウをつけない。

これをすれば、人としゃべっていても、
勝ちはしないけど、負けも無い。

作品にもそれが出てくる。
当時はタブーのマンガの影響なども話す。
だいたいが、無視。

アートじゃない!」と言われる。
エログロ!アウトサイダー!
ただ、だからこそ、アートについて勉強もした。
小さな図書館で本読んだだけだけど。

そんなこんなで、
キワマリ荘を開設し個展を開く。
その頃から、

感動しました。」と、言う人が増えだし、
泣く人もいた。
>変わった人では、オナニーする人もいた。

その時思ったのは、

そうか、自分の治療のために薬(作品)を作ってきたけど、
私と同じ病気の人には、効くんだ!ってこと。

その人数はけして、多くは無い。
でも、必要とされている。

その時の幸福感は今も忘れない。

しかし、腕が良かったのか、特効薬の精度が上がっていく。
と、どうなるか、

効く人には効くけど、効かない人にはまったく効かない。
ピンポイントの精度が上がりすぎてゆく。

最終的には、結局、自分にしか効かなく成った、かな。

物事は全てエンだと思っている。
天才が馬鹿に見える様に、
個を突き詰めれば他に繋がる、と思っている。
逆もあるだろう。

しかし、まあ、絵が描けなく成ったので、
絵を描くの、止めようかな、と思ったのも事実だけど。

なぜかって、言えば、
絵を描き続けるために、不幸の連鎖に戻る人を何人も観て来たから。

幸せに成るために絵を描いて来たのに、
幸せなると、絵がかけない、、、、と悩む。
本末転倒だ。

そんな事を何年も悩んでやっと、「仕事として絵を描く」イメージがわく。

それまでは、作品売りたく無かった。
売るぐらいなら、あげる方がよかった。
>実際、水戸に引っ越す時1/3を譲った。
そんなんだったから、入場料をとって展覧会をしてた。

名古屋の企画ギャラリーに、1年くらい入っていたが、
その原因が元で抜けた。
あれも、これも、売りたく無い!
いい加減にしろっ!て話だよ。まったくだ。

じゃあ、どうやって食べてたの?って話だけど、
レンタルスペースで年収100万稼いでました。
あと、個展の入場料が15万くらい。
貯金は30万くらいは、常にあった。

何、自慢?恥ずかしく無いの?って思うだろうな?普通。
でも、週に3日しか働いてなくて、あと自由って楽しかったな。
まったく不自由がなかったし。
近くにいつも図書館あったしね。

>意外にまねできないみたいだけどね。
 毎日、朝起きると、「今日は何しよう!10年」だからね。

欲しいモノも無かったし、月8万で暮らしてて、
500円貯金3年で15万くらいたまって、それで、
パソコン買ったりとか、人はキワマリ荘に毎週来てくれてたし、

あ、そうそう、重要な事思い出した。

スペースのオーナーを演じていたら、
それが、定着?自分になっていく?んだよね。
まな板の上の鯉。

せっかく、遠い所から来てもらったんだからって、
接客するでしょ、しゃべるでしょ。

対人恐怖症直ったよ。

生きていくためには、何でもするんだね、体は。

私の基本方針:
楽して暮らすためなら、どんな努力もする!っていう矛盾行動!

で、
で、
で、

去年!、よし売るぞ!ってなって、やってみたら、
年収70万で貯金2万って、死んじゃうよ!

完全に切り替え失敗したよ!

9月にする個展、眼の色違ってても許してください。

個展情報→ http://arimakaoru.blog.so-net.ne.jp/2010-07-21

あ!、何の話してたか、また忘れた。

そして、疲れt。







共通テーマ:趣味・カルチャー

アウトサイダーとそうじゃない人の違いは、 自分の意志で、作品発表する事」。 [自分の作品考察]





作品を見る時、
作家性で観るのか、作品性で観るのか、で変わるし、

作家本人の「美を作り出す意識」と、
アウトサイダーの鑑賞者による「美」の発見は違う。

アウトサイダーとそうじゃない人の違いは、
「自分の意志で、作品発表する事」。






人間の可能性を切り開いた人」をアーティストと呼んでいる。

その中の、美術部門なのだから、「美」はいるでしょ。
って話なら、今の作品「美」ある?って話に成らないのかな?

それは、作家性が美なのかな。

デュシャンの呪縛にすぎないのかな。





イラストレーションも浮世絵の逆輸入の進化版と考えると、ありなのか。

んんんんんん、

まてまて、

自分の正当性を言うために、他者を否定しない事。
か。

自分が正しいと思いたいのは、
何かに怯えてるのかな。




むむむ、、、む。





  「マチスは最後に光と祈りを求めた。」



+


と、思いたい、のか、な。




いったい、どれだけの、理屈に縛られてるんだろう。
というか、何のために、こんな事考えてるんだろう。

んn、、、、、、、。


、、、、客観性、、、、、。


他人の作品だと、良い、悪い、何かひっかっかる、を瞬間で分けれる。
自分の作品を、どれだけ客観視できるか、それだけが重要だ。
でないと、がんばった」とか、時間とか、お金かけた」とかに引っ張られる。
良い所を無理矢理増幅させたり。

でも、それって、結局、どういう事、なんだろう?

客観性な。

作品を鏡、って落とすのは、良く無いな。


つづく、







共通テーマ:趣味・カルチャー

崖から落ちZONEに入った。 [自分の作品考察]





スキーをしていて、崖から落ちZONEに入った事があります。
ZONEとは、スポーツ選手や死ぬ間際に突入する精神状態らしく、
余分な情報が整理され、目の前がスローモーションになったりする、らしい。

私の時は、「あの枝につかまらなかったら、死ぬなぁ」と思った時、
白黒でスローモーションになり、
枝をつかんだとたん、色と音、スピードが戻りました。
で、何が言いたいか、

例えば、戦国時代。
常に、生死がそばに有った決闘時、お互いにZONEに入っていたなら。

想像するだけで、ゾクゾクします。
これは、時間や精神をコントロールする技術です。
究極の集中力!

そんな絵画がたまにある。
それは、止まっているのではなく、過去と未来を繋ぐモノ。




蛇足:
崖から落ちたのは、始めてのスキーだったのに、
友人が、もうなれたでしょ、帰りは上級コースでいいよね!って。
そして、見事に、落ちた。

必死に下りて、友人に詰め寄った。
その時、言った友人の言葉が凄かった!

有馬さんは、死なないよ、マンガだから。」

一同爆笑。




タグ:zone

共通テーマ:アート

自己治療系の作家は治療が終わると作品が作れなくなる。 [自分の作品考察]





犬山のキワマリ荘を離れた理由のひとつ:


10周年の展覧会を大家さんが見に来て、こう言った。

ぜんぜん皆が成長してないのはどうしてだ!考えた事有るか!」

治ってしまえば、此処には来なくなるから、
部屋を借りてもらえなくなる。
だから、核心を言わず、
話を聞いて薬を出すだけのダメ医者になっていた。

無自覚に。





自己治療系の作家は治療が終わると作品が作れなくなる。

それで、社会復帰できれば、万々歳だ!
キワマリ荘で、好例を見て来たから、それはそれでいい。

しかし、私は無理っぽい。
だから、よく考えてみる。

絵が好きだったから、治療に絵画を使ったのだ。
不幸だから絵を描いたわけではない。

それに気づけば、原点に帰ればいい。

と、


考えてから、数年後。


原点に返っただけでは、だめだった。
それだけでは、作品で食べれない。

結局、関東で「0」から始めないといけない。
間に合うかなあ。

10年やれれば、何とかなるんだろうけど。

(何とかならないのは、
努力不足か、努力の仕方を間違えてるか。)

まあ今、日本に居る時点で駄目な気もするが。

「明日やろうは、バカやろう!」
「明日できる事は、今するな!」

どっちにしても、覚悟の問題か。







共通テーマ:アート

うつくしさ」とは、発見なのか創造なのか。 [自分の作品考察]

+


いつも考えてしまうのは、

うつくしさ」とは、発見なのか創造なのか。
どっちもなんだけど、

絵描きとしては最終的に創造にもってかないと。
きれい」と「うつくしい」は違う。

机の上を「うつくしくしなさい!」とは言わない。
きれい」な人と「うつくしい」人。



+




共通テーマ:アート

1997:名古屋では革命だったと思う。 [自分の作品考察]




1997:

アートドラッグセンター(キワマリ荘内)でした個展、
神の生活」(1996−7)が美術手帳のレビューに載った。

arima kaoru-b-970400BTreview.jpg


それを見た、ワタリウム美術館のキュレーターが資料請求。

三ヶ月後。

どうなったか知りたくて電話。
どちらさまですか?」と言われ、東京に行くことを決める。

三度目くらいに新聞紙の作品(第二世代)を見てもらう。
そして、展覧会が決まった。

名古屋では革命だったと思う。

貸し画廊10年、企画画廊10年、
美術手帳、美術館、作品買い取り、学校の先生。のレールが、

作家が自分で画廊を持つ、美術手帳、美術館。飛び級したのだ。

他の作家が黙ってるわけは無く、
次々に作家のスペースが生まれ、
貸しギャラリーが減る。



当時まだ、作家が作品で食べて行けるとは、誰も思ってない。から、
好きなことできた。そのためのスペースだった。

今は、その言い訳ができないから、つらい。

それはともかく、
Tさんが美術手帳にレビューを書いてくれたのが始まりだ。
それこそが革命。

言葉の力。
言葉によって、何もかもが変わってしまう。

感謝と恐怖。

arima kaoru-b-神の生活01.jpg




arima kaoru-b-神の生活02.jpg






共通テーマ:アート

「鑑賞と忍美。」展 [自分の作品考察]




「鑑賞と忍美。」展

2000/09/01 〜 2001/01/28

入場料 500円


当時、作品を売る気が無くて、
でも、収入は欲しい!ので、

1998年から入場料をもらってました。
最初は300円、2006年には1000円になってました。
いつも入場者数は200人くらいだったかな。

名古屋で色々やって、
唯一誰も乗ってこなかったのが、入場料の導入。

色々意見の分かれる所なんでしょう。

は、さておき、その時のDM




arimakaoru-b-shinobiDM.jpg






DMに書いてあるとうり、
今は”愛と自律”の獲得に奔走中なう。

そう言えば、
こんなこと考えないで、絵だけ描け!」って言われたなぁ。




共通テーマ:アート

ポスター [自分の作品考察]



ポスター:

2008年に制作し、カフェイン水戸に出品。



kaoru arima-b-2008ポスター02.jpg





これは、作品が風景に成って行くイメージ。




kaoru arima-b-2008ポスター01.jpg





これは、風景が作品に成って行くイメージ。

不思議なことに、
両方好きという方はいませんでした。
片方好きだと、片方嫌い。

良かったじゃないか、
色んな人を、満足させることができる。
と、
思うでしょ。
私も思いました。


でも違いました。
一緒に展示すると、
何が言いたいのか分からない。」
みたいで、

鑑賞者も私も困惑。

なぜだろう?と考えました。
私は両方好きで理解できます。

正確に言えば、
その頃に、モノの見方が少し変わりました。

これは、運がいいのか悪いのか。










共通テーマ:アート

信じること、探すこと [自分の作品考察]

信じること、探すこと:DMのみの作品(1999)

ワタリウムの展示が終わって、
日常がアートなら作品作らなくても良い。
と、思ってしまい。ドツボにハマる。


DMの表面






arimakaoru-b-shinnjiru01.jpg







裏面は白紙。





arimakaoru-b-shinnjiru02.jpg






皆に配って、うさばらし。

今でも、これ好きかもな。




共通テーマ:アート

to the Living Room [自分の作品考察]

to the Living Room:





arima kaoru-b-livingroom01.jpg






1998年9月5日〜1999年1月31日
ワタリウム美術館の展示は壮絶だった。
どんな展示だったか?

5ヶ月間!
ワタリウム美術館とは別の場所に住みながら展示する。





arima kaoru-b-g ex98-99watari01.jpg






美術館の中には、一つも作品はない。
希望者のみ、入り口で地図の付いた鍵を渡される。
そこから歩いて5、6分のアパート。
鑑賞者は迷いながらも、探し出す。
そして、私が出迎える。

毎日毎日人が押し寄せる、当然だ、そういう展示だから。
来客中でも、腹が減ったら、ご飯食べる。
好きなテレビ番組は、逃さない。
寝てることは無かったけど。
来客に見せる作品は新聞紙。
何度も踏まれる作品。
なぜ新聞紙?」
一日に何度も繰り返される同じ質問。





arima kaoru-b-98-99watari02.jpg






しょうがない。
会話の始まりはこんなものだ。
私がいれば、話すしかない。
あまりに、疲れているから、
毎日いなくていいよ。」と、言われたけど。
いないと、日常じゃない気がした。

作品の誹謗中傷。
これのどこが、アートなの?
パフォーマー?
そんな作品で革命が起きるか!
部屋を公開してるから、全部作品にみえるのか。
このタンスは作品?
このカップ麺は?
あなたは?

作品見ないで、話しにくるだけの人とか、
作家にあって、ぼろくそ言うのが趣味みたいな、
自分で「壊し家」って言ってる人。
凄いことに、あれだけ言われた悪口を思い出せない。

最終的に、鑑賞者が「バイトの人?」と思うくらいに、
機械的に動き、他ごとをし。
質問には適当に答えた。
鑑賞者は、本当の答えを求めてるのではない。
会話のきっかけであり、
嘘でも納得できれば良いのだ。
立場が変われば、私だってそうだから。
たまに、プロ(美術関係者)が混ざってるのが、厄介なんだけど。

後に、人の意見は聞かない。
聞くけど聞いてない。
聞いて必要な所は回収。
になってゆく。

最終的に、ノイローゼ。
一日が終わると、カレンダーを黒く塗り、
青山から渋谷まで、音楽フルボルームで徘徊。
とにかく、カレンダーが真っ黒になる日を夢見た。
やりきることだけを考えた。

この展覧会は修行だった。
この後、廃人か作家に成るかの洗礼。
ま、打たれ強くは成った。

後から聞いた話では、
5000人はアパートに遊びにきたみたい。





共通テーマ:アート

願い」だから美しい、し、共感もする。 [自分の作品考察]

新聞紙の作品について(2)

新聞紙の中央に白を置き始めたのは、1997年からだ。
それまでは、キャンバスの代わりだった。





arima kaoru-b-95-14.jpgarima kaoru-b-95-02.jpg





白を入れてから、新聞紙でなくては、いけなくなった。
世間と言う新聞紙の中に、自我と言うセル(白)を作り、
自我の危うさを表現」、内面性の表現」、世間と自己の関係性」など、
色んな方から言葉をいただいた。
この場を借りて、感謝の気持ちを伝えたい。

今、一枚、壁に掛けてある。
あ、そういえば、この間、新聞紙の作品がヤフオクに出てた、
額付きで、6000円ぐらいだったな。
二点でてた、カーネギーに出品した作品。
その日の夜は、ショックで寝れなかった。

誰もいらない」作品を、それでも制作する。のであった、
って、買ってもらってる人に失礼だな。
感謝こそすれ。
ホント感謝しないとな。
CD売る時もそんなもんか、、、、、
と、言う事にして、バネにして、と。

話を戻そう。
キュルキュルキュル。
今も一枚、壁に掛けてある。
上記の様な、凹む事もあるが、
新聞の作品は、今でも面白いと思っていて、
なぜかと言えば、言葉に成ってないからだと思う。

人は、言葉にして、くくると分かった気になってしまう。
放置は気持ち悪いし、次に行きたいから。
まあ、消費だ。

チャンネルを変えよう。
ウツ払い。

「古新聞」と、書いた時、面白いと思った。
古」「新」「聞」、面白くない?

古新聞」載ってる情報は古いです。でも、
見る人にとって、初めてなら、どうなるの?
情報とは、知識とは何なのか。
これが、新聞紙でなくてはならない理由の一つ。

新聞紙は耐久性が悪い。
湿気で、形がいつも違うし。
まあ、100年は保つだろう。
しかし、毎日色が変色する。
最後は無くなってしまうだろう。

瞬間瞬間を美しいと感じるために命がある。
私たちには寿命がある。
だから、毎日が美しいし、瞬間が輝く。
死がそばにあるから。
死ぬ事を忘れてしまうと、毎日が退屈だ。
時間をつぶすために消費を繰り返す。

花を写真に撮ったり、ドライにしたり、永遠を願う。
それは、願い」だから美しい、し、共感もする。
願い」を抜いてしまえば、ただのモノ。

そんな場所に、私は絵を描く。



ちなみに、
私は作品を、上だけ画鋲で止めるのですが、
学生の頃。ある展覧会を見に行って「つまらんなぁ」と出た所に、掲示板があって、
どっかの展覧会のポスターとか、ここでの注意事項とか、今後の予定とかが、
適当に画鋲で上だけ止めてあって、風で、ひらひら揺れてて、そっちに、リアルを感じた。







共通テーマ:アート

キャラもの作家で成功してる人。 [自分の作品考察]

絵画で、キャラものを描く作家で成功してる人は、
ほぼ、立体を制作している。

たとえば、平面キャラを立体にする事で、
絵画のキャラが立体的に把握できるようになり、
見たり触ったりして描いてる」事になり、
平面キャラにリアリティーが生まれる。

たとえば、背景をまったく描いてなかったのに、
キャラの立体作品を作り、それを空間に置く事で、
自然に背景を意識できるようになる。


キャラものはキャラのリアリティーと背景の処理で決まる。

で、私の場合。





arimakaoru-b-daruma.jpg

arima kaoru-b-daruma02.jpg






ワイヤーのだるま。
れんこんのなか展出品作。

キャラのリアリティーや背景の処理とは、別の所に着地しちゃったな。
残念。


共通テーマ:アート

らくがき [自分の作品考察]




学生の頃、教室の窓から、トラック競技を観て思った。
普通に皆と走ったら必ず負ける。
ゴールに行けば良いなら、逆に走ればいいのでは?
コレを美術に当てはめると、
技術を身につけていく」の逆、抜く。
天才と馬鹿が紙一重なら、私は馬鹿側からの方が近い!はず。
だから「らくがき」。

とかって、やってきちゃっても、
うまくなっちゃうんだなぁ。

また、うまくなると、うれしかったりするしな。
評価は下がるけど(ただの下手になるからね)。
なんとか、しないとなぁ。




タグ:らくがき

共通テーマ:アート

落語とオペラ [自分の作品考察]





自由は誰にでもあって、無価値のモノ。
不自由は自由の海に有る、浮き輪だと思う。

クリストは浮き輪じゃなくて、戦艦。
それは、「落語とオペラ」に似ている。







共通テーマ:アート

中途半端。 [自分の作品考察]




中途半端だったから、それを表現しようと考えた。
中途半端な作品は、時間をかけて、
中途半端を表現した作品になってゆく。
この違いは、とても大きい。
そして、
自己治療(系)、癒し(系)、存在理由(系)、関(系)と進んでゆく。
バラバラだった心が、一つになり、個になり、他の個を理解するようになり、
存在理由の必要としない木や石を受け入れるようになる。
それからだろう、風景がうつくしく見える。

2005/11/12



試される恐怖。
選択の恐怖。
劣等感。
選択の拒否。
中途半端。
気づけば、
選択の拒否と言う選択。


中途半端を目指すのは、負ける恐怖からの逃避。
本当は一番に成りたい」。

解ってしまえば、簡単な答え。


2007/00/00




共通テーマ:アート

作品には最低、厚み、深み、インパクトが必要だ。 [自分の作品考察]




自分の作品考察1:

新聞の作品を作り始めたとき、空間が面白いなら、
白い所に絵を描かなくても良いんじゃないのか?と、
何度も挑戦したけど、いまいちだった、絵は必要なのだ。





arima kaoru-b-r2009-07.jpg






おおざっぱだが、
作品には最低、厚み、深み、インパクトが必要だ。
技術、コンセプト、ファッションでもいいんだけど、

ファッション性は元々無いし、
   (別のインパクト、エログロはあるけど。)
厚み(技術)は、無くてもいい、ぐらいのジャンルなので、
   (私の場合は「味」の方が重要だったし。)
深み」の問題だと考える。
これは、リアリティーとファンタジーのバランスと重層。

新聞紙自体はかなりリアルである。
それゆえ、白い部分に絵を描くにあたり、
ファンタジーだけで成り立った。

それを、だだ白い紙に描くと、作品に成らない。
ならば、どうする?

絵の中にリアリティーを入れれば良い。
問題は、どんなリアリティーを入れるか。

そんなこんなで、
Gigabeltシリーズが始まるのです。
って、
終わりにしようと思ったけど、

お前の作品は「味」しかない。とか、
海外の人に「味」って説明できないんだよね。
って言われたなぁ、海馬くん。

そういえば、今の作品「味」あんまり感じないなあ。
やばいなあ。

私には、重要な要素なのに、忘れてた。
「味」かあ、厚みと深みの中間なのかな。





arima kaoru-b-23.jpg






ちなみに、
作品は「深み」だけでも成り立つ、インパクト無いと人気でないけど、
最近は、「インパクト<ファッション」に「深み」少々が多い。
気がする?だけかな?

まあ、
「厚み、深み、インパクト」の重層+アルファについては、
これから研究して行こう。
研究の成果は作品にでるからな。



つづく、






共通テーマ:アート
自分の作品考察 ブログトップ

有馬かおる

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。