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絵を描くこと(アート)が宗教に成った日 [アートが宗教に成った日]





絵を描くこと(アート)が宗教に成った日:



0歳

1969年、アポロ月面。


7歳

背が低く(一番前)、すぐに泣く子供だった。
ので、柔道を習い始める(強制)。

市内では、いつも二番だった。
同じ道場にライバルがいて、必ず決勝で負けていた。

クジ負け(決勝戦で!)は三回あり、やっと勝てるようになったら、
隣町に県大会で二位に成るような新人が現れた。



両親が共働きのせいか、月水金と火木土の二カ所の道場に通わされ、
心から運動が嫌いになり、中学では将棋部に入り、身長が30cm伸びた。
最低でも三手先は読めよ!」よく怒られた。

12歳

自由勉強で、写楽や広重の模写をする。
皆は漢字や算数ドリルをやってきていた。

絵描きになろうと思った最終決断は、
この事を思い出したから。

14歳

学校から帰って、テーブルで食事をしていた。
居間で母方の兄弟が、借金の話をしていた。
おじさんが「俺は馬鹿じゃない、皆に迷惑はかけない!」と。
今でもはっきり覚えている。



三ヶ月後
ヤクザ(当時は、そう思った。)が来た。
おじさんが夜逃げしたらしい。

連帯保証人だった父は、差し押さえに成る前に、家を売りに出す。

15歳

修学旅行から帰って来た時、玄関に電気が点いてなかった。
それだけで、恐怖のどん底に落ちる。

その頃から、頻繁にバイヤーがお客を連れて、家を出入りするようになる。

私が風呂に入っている時、いきなり扉を開けられ、
ここが風呂場です。」ってバイヤー。
若いカップルだった。女は口に手を当てて笑っていた。
私は心の中で「お願いします。」と言い、頭を下げた。

が、しばらくして爆発。

居間でテレビを見ていた父母に怒鳴った。
しょうがない」と母が涙目で言う。
布団の中で丸まって泣くしかなかった。



当然、トラウマになった。
そして後に、この種がキワマリ荘やアートドラッグセンター(1997−)になり、
ワタリウム美術館での展覧会” to the living room ”(1998−9)に変化してゆく。

16歳

引っ越し。
ゲームプログラマーになろうと、工業高校の情報処理科に入学。
すぐに働くつもりだった。

 ガンダムの影響は大きい。
 なにしろ主人公は、今で言うギークのサラブレッド。
 ちなみに、ドラクエ発売は1986年(17歳)。

紙テープ、カセットテープ、フロッピーディスクと三年間で、
記憶媒体が急激に変化した時代。

今も思考時は、フローチャートを書く。



高校の写真は無い。

この三年間で、
友人、親戚、何も言わない両親の連続攻撃により、
「バカでブサイクで何の取り柄も無い」存在になる。

生徒手帳に「オレは落伍者だ!」と全ページに書いてあったのを、
クラスメイトに見られたこともある。

毛深く脂性でバスケットボールの様なニキビ面、
いつも麻雀をしていて、いつもカモだった。
この時期から、鏡を見れなくなる。



コレも後にトラウマとなった。
比較、競争、私を点数にするもの、順位を付けるモノ全てを嫌った。

17歳

高校では、授業で美術が無かったので、美術部に入る。
夏休みでも学校に通い部室で絵を描いていた。

まったく授業について行けなくなって、
友人とドベを競う。
凄い事に一度も勝てなかった。

これが意外に難しい、赤点取ったら留年だし。

美容師になろうと、資料請求をしたら、
連絡が学校に行ってしまい呼び出される。

近くに名古屋造形短大があり、そこを進められる。
家庭の金銭問題にも明かりが見え始め、進学の許可がおりる。
コップを作りたいと思い、プロダクト(工業製品)コースを受ける。

18歳

プロダクトデザインコース入学。
あまりにも、皆よりも絵がヘタだったので、絵を描かなくなる。

代わりに、文章を描きだす。
高校の文章表現の授業で、褒められたこと、
恋をしたこと、本を急に読むようになったから、かもしれない。



この頃、
弟のバイクを、壊す。
しかし、謝らなかったし、修理代すら払わなかった。

弟から、一言も無かったし、時間が流れて、そのまんま。
弟は、ハンサムで性格が良く、友達も多かった。
私は、何時の頃からなのか、始めからなのか、
人として大切な何かが、欠けていた。

結婚前、「あなたは、謝る心を持ってない、意味も解ってない!
謝る事と、許してもらう事も違う!」と、激怒される。

理解するのに、ひどく時間がかかった。
今からでも遅くないと信じたい。

19歳

人間不信だった。
ゲッペルスの伝記をいつも持ち歩いていた。
人間が憎かった嫌いだった。

学校を支配しようとして、友人と自治会に入る。
昭和最後の芸祭実行委員長に成る。

テーマは「69」。



この短大は、当時、移転したばかりで、生徒も先生も過去を見ていた。
短大と言う環境は、歴史が二年で更新される。継続が非常に難しい。

私は、何もかも打ち壊して再生をしよう!と思う。
が、いきなりは無理が在る。
そこで、本番前の準備?をテーマにした。
この頃から、0を1にする事が好きみたい。
誰とも比べられないし。

その結果、表現に目覚める。
考えた事が、現実に成ってゆく喜び。
感謝される喜び。
そして、ゲッペルスの本を燃やした。

この時期、
バカでブサイク」がブレイク、人生最大のモテ期。

もともと、バカと言われたのは、
圧倒的な記憶力の無さと、同じ事をやらしても同じにならない事。

見方を変えると、
何にも捕われることなく、人と違う事ができる。

大逆転!

この頃、夢を叶えるためには、どうしたら良いのか考えた。
昼にカレーが食べたいと思ったら、カレーを食べる。
見逃しそうだが、これも夢の実現。
駄目人間だったから、そんな所から始めた。

で、
調子に乗って、金髪(当時校内で一人しかいなかった。)にし、
学生服を着て(アレルギーなのに)タバコを吸い、学食にいつく。
クラブを作り、イベントでお金を稼いだり、校内で演劇を公演したり、
してたら、留年した。

20歳

家族会議で、「お前に財産を一円もやらん」って言われる。

弟が親の後を次いだ。
それ以降、露骨に差別が進み、友人の家にいりびたり。

今考えれば、当たり前の事」っと思えるが、当時は荒れた。



この頃、絵を描き始める。
タイトルが常に長かった。
後に絵の中に書く様になり、短くなってゆく。
学内で展覧会を数回開く。

卒展では、目をつぶって制作した茶碗を発表。

この子のやってる事は、さっぱり分からん。」と、
ある先生が採点中に話してるのを、たまたま聞く。
目が合って、先生慌ててたなぁ。

助手の人から、お前の点数の開き方は凄いぞ!」って、
言われた事もある。

ただ、最終的評価って、足して割るから。



21歳


就職し、一人暮らしが始まる。
何もできない自分に啞然とする。





魔法が解けた。





何をしていいかわからない。
何にむいているかもわからない。




22歳




あるモノは何人もの借金を立て替え、
最終的に、すべて失った。
なぜ生きて行けるのだろう?」と本気で思った。


あるモノは、欲しいモノ」を手に入れるため、
それ以外の全てを捨てた。









いま、おもえば、

やりたいことを、やりぬいただけ。



でも、


そのころは、




23歳




神棚を破壊。





何も無くなって、自分も無くなった。





絵を描いている」自分に気づく。








そして、





絵を描くこと(アート)が宗教に成った。


























マイカテゴリー:タグ「いままでのこと」へ、つづく

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有馬かおる

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