金に対しての罪悪感は、 文人画の流れ。 [罠。]




ラスコーとか、絵巻とか、起源を探すことで、
そこから、始まった事になってるけど、

ほんとか?
いいのか?

まあ、よくある原点回帰だけど。
その原点を、こっち(今)の都合で決めていいのかな。

なぜ、今を納得させるために、
出自を過去に求めるのだろう。
問題は「今」なのに。

どうせ、自分の都合の良い事例しか、集めないのに。


後、

起源が一つとは、限らないよね。
現に、今の日本のアートは。

技術とか、ルールは西洋だけど、
精神は中国だよね。

作家がお金に対して罪悪感持ってたりするのは、
文人画の流れです。

金はあるから、好きな絵を描く、さらに、
差別意識あるから、職業画家を非難する。
技術よりも、精神性だ!と、ね。

これね、ほぼ千年さかのぼれます!

でもこれ、
プロパガンダだから、画商が文人画が高く売るための。



今は、本末転倒になって、

不器用をカッコイイと思い、
売れない作品を作り、プライドだけ高い人(俺)をさす。



自分をフォーローしますと、
やってる事(方向性)は、文人画と浮世絵。

たまたま、それは、日本画誕生の際に、里子に出された。

私にとって、これは弱みであり、強み。
君は文人じゃないから、ただの落書き。」は根強くあります。


理想の作品は、一茶の掛け軸。
絵も書も巧くない、けど、自由そして、内容(俳句)は抜群。
なので、

「美」の量産が可能!

ただ、写楽とか、良寛の線は技術を超越した自由がある。
そこにも、引かれる。

そうか、いいかげん、目を覚まして、プロに成れってことか。

相変わらず、言ってる事が飛び散ってるな。
飛び散ってっては駄目なのかなあ。


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有馬かおる

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