願い」だから美しい、し、共感もする。 [自分の作品考察]

新聞紙の作品について(2)

新聞紙の中央に白を置き始めたのは、1997年からだ。
それまでは、キャンバスの代わりだった。





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白を入れてから、新聞紙でなくては、いけなくなった。
世間と言う新聞紙の中に、自我と言うセル(白)を作り、
自我の危うさを表現」、内面性の表現」、世間と自己の関係性」など、
色んな方から言葉をいただいた。
この場を借りて、感謝の気持ちを伝えたい。

今、一枚、壁に掛けてある。
あ、そういえば、この間、新聞紙の作品がヤフオクに出てた、
額付きで、6000円ぐらいだったな。
二点でてた、カーネギーに出品した作品。
その日の夜は、ショックで寝れなかった。

誰もいらない」作品を、それでも制作する。のであった、
って、買ってもらってる人に失礼だな。
感謝こそすれ。
ホント感謝しないとな。
CD売る時もそんなもんか、、、、、
と、言う事にして、バネにして、と。

話を戻そう。
キュルキュルキュル。
今も一枚、壁に掛けてある。
上記の様な、凹む事もあるが、
新聞の作品は、今でも面白いと思っていて、
なぜかと言えば、言葉に成ってないからだと思う。

人は、言葉にして、くくると分かった気になってしまう。
放置は気持ち悪いし、次に行きたいから。
まあ、消費だ。

チャンネルを変えよう。
ウツ払い。

「古新聞」と、書いた時、面白いと思った。
古」「新」「聞」、面白くない?

古新聞」載ってる情報は古いです。でも、
見る人にとって、初めてなら、どうなるの?
情報とは、知識とは何なのか。
これが、新聞紙でなくてはならない理由の一つ。

新聞紙は耐久性が悪い。
湿気で、形がいつも違うし。
まあ、100年は保つだろう。
しかし、毎日色が変色する。
最後は無くなってしまうだろう。

瞬間瞬間を美しいと感じるために命がある。
私たちには寿命がある。
だから、毎日が美しいし、瞬間が輝く。
死がそばにあるから。
死ぬ事を忘れてしまうと、毎日が退屈だ。
時間をつぶすために消費を繰り返す。

花を写真に撮ったり、ドライにしたり、永遠を願う。
それは、願い」だから美しい、し、共感もする。
願い」を抜いてしまえば、ただのモノ。

そんな場所に、私は絵を描く。



ちなみに、
私は作品を、上だけ画鋲で止めるのですが、
学生の頃。ある展覧会を見に行って「つまらんなぁ」と出た所に、掲示板があって、
どっかの展覧会のポスターとか、ここでの注意事項とか、今後の予定とかが、
適当に画鋲で上だけ止めてあって、風で、ひらひら揺れてて、そっちに、リアルを感じた。







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有馬かおる

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